2000年6月

七七日

2000年 6月11日

10日土曜は、父の七七日で、八王子にあるお寺(そこに家の墓もある)に早朝から行った。
7時半から駅前にあるレンタカーで三菱のギャラン(ナビ付き)を借りて、実家で母を拾い、途中、従姉妹を拾って八王子に出発したが、八王子なんて行かないもんだから、どういうルートで行くのが一番いいのか、良く分からなかった。
ナビは都心に出て中央道を行けと指示を出していたが、確か16号で行った方が近いと思ったので16号目がけて走った。16号は混むけど、でもそれが一番いいルートだと思ったので。
で、結局、ちょっと渋滞があったもののギリギリ間に合った。
私は初めて行くお寺だった。だからお墓も当然初めて観た。
お墓はかなり前に買って、周りだけ作ってあって石がない状態にしていたのだが、結局、父の兄弟で父が一番最初にお墓の中に入ることになってしまった…。
が、問題はここからだった。
到着して間もなく坊さんに会って挨拶をして、これからお経を唱えて貰うんだから、お願いしますって感じじゃん? それがもー最悪の七七日だったのだ。
坊さんが夫婦喧嘩したらしく、その所為で凄く機嫌が悪いのだ。
挙げ句、こっちに八つ当たりで屁理屈ばかりの説教をおっぱじめた。

はっきり云って、凄く気分が悪い。おまけに家では初めてのお葬式だったのだ。
だから当然、どういう準備とか段取りとかっていうことは全くと云っていい程分からないのだ。
それを知っているくせに「分からないのだったら聞けばいいでしょう」とか、今では確認すらできないことを分かっていて「私は電話でちゃんとそう申しました」とか、兎に角、母や私たちを集中攻撃だ。
仮に電話でそう云っていたのだったら、そういうことには確りしている家の母が見逃すはずがない。
その上、母は話をするのとか字を書くのが苦手な人だ。ハイテク関係も全く疎い。
そういう人だと分かっていて、母を集中的に攻撃してくる坊さんに呆れた私だった。
はっきり云って、あんな坊さんとこの先、一生付き合って行かなければならないなんてウンザリだ。
その上、新盆は実家に来るらしいのだ。
それで今日、私たちがクルマで行ったもんだから、どういうルートで来たか説明しろと云ってきた。
だが、クルマで行動して未だ2-3年と云う感じな私たちにとって、ほんの近所なら問題ないが、初めての八王子な上に、だからこそナビ付きのレンタカーを借りたのだから、ちゃんと話せる訳がないのに、それを云ったら云ったで、また説教が始まった。
このままここにいたら延々と屁理屈な説教が続くと思ったので、父には本当に申し訳ないとは思ったが、早々に退散したい気分でいっぱいだった。
母も流石に今回のことで、うんざりしていた。私も母も同じ気持ちだった。
自分で屁理屈ばかり云っているくせに「これは屁理屈でもなんでもない。常識を私は云っているのです」と云うのだ。凄い坊さんだよ、全く。例えば「タバコは吸うから身体に害なんだ。私は吸わずにふかしているから害にはならない」と屁理屈を云っているのだ。
それが屁理屈だっちゅーのっ。
大体、家の父が肺癌が元で他界しているって云うのに、タバコを吹かしているだとは、いい度胸している坊さんだな、とも思った。
吸わない人間にしてみれば、吸うも吹かすも害は一緒なのに、そういうことには自分から棚に上がっている坊さんだった。
その上、お寺が古くなったから、本堂を建て替えたいらしいのだが、檀家に募って欲しいってことになっているみたいで、母が云うには、家は30万出してくれって話らしいのだが、こんなんで何で30万も払わなければならないのか、全く納得いかない。
夫婦喧嘩はどうでも良いが、それで奥さんと口を利けないからって、こっちに当たるとは言語道断もいいところだ。大人げないとしか云いようがない。
大体、普通はお坊さんのお説教とはありがたいものだが、今回のは、はっきりいって全くありがたくもない話ばかりだった。
その上、30万なんか、何であんな坊さんのために払わなくちゃならないんだ。
いい年こいて、仕事ちゃんとしろよって感じだよ、全く。
最低な七七日だった。
本当、父が可哀想だよ。

で、戻ってきてからは今まで月一で家族で恒例になっていたお寿司の日を実行した。
最後に父と母とダンナと4人で行ったのが12月。
半年ぶりのお寿司屋だった。
あまりお腹が空いてなかったので、早々に退散だったが(爆)
もう父がいないんだなぁとしんみりしながらお寿司を食べて来た。

帰宅してTV観ているうちにうたた寝して、起きてダンナの部下であるKちゃんに借りたDVDのアルマゲドンを観た。
アルマゲドンのおまけ映像はAEROSMITHのプロモだったので、私にとってはとても美味しかった(爆)

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教習所日記

2000年 6月10日

最近、だらだらした生活になっている。そもそも寝るのが遅い。大体明け方3時半とか4時前とか。
当然、起きるのが辛くなる。
でも起きてダンナを会社へ追いやり、その後結局、辛くて寝ちゃう。
それでまた夜遅くなっても、あまり眠れない…と延々続くのだ。
いやだねー、こんな生活。もう少し改善しなくちゃ。
と云うのも、これからはまたこんな生活にはならなくなるんだけどね。
日中、教習所に通うので二度寝や昼寝が出来なくなるのから、そうなると、速攻寝れるだろう。
そっちの方が身体にとってもいいし、これはいい機会だとは思う。
でもその慣らすまでの期間が一番辛いのだ。
たった一日で簡単に夜型にはなっちゃうくせに、数日かけても朝型に戻すのは大変だ。

さてさて、もう昨日になったがやっと教習所に復帰。昨日は1時間の技能のみだったが、初めて車を運転した。
当初は、どうせギヤチェンジに捕らわれて運転どころではないだろうからAT車なんだろうなぁってはなから思っていたら、配車券の車の番号を確認して、技能が始まる5分前には車のところに移動して、車の中を覗いたら、どー観てもMT車なんだよね。
まさかなぁ…と思いながら教官を待っていたら、女性の教官がやってきて、「では始めましょう(^-^)」
と。え〜っなんて云っている時間もなく、技能に突入した。
しかも一通りおさらいをしたら、とっとと教習所の中を運転だよ(爆)
スゲーッはえ〜っと思いながらも頑張って運転してきたよ。
ハンクラがねぇ難しいんだけど、でも慣れると結構巧くなってきたような気がした。
直線コースでは直ぐに2ndにギヤチェンジをして、教官が
「さぁもっと元気良く、どんどんアクセル踏んでぇ」
って煽るので頑張って踏むが、もう運転の方が大変で何キロぐらい出ていたのかも分からない。
要するにメーターなんぞ観ている余裕がないのだ(爆)
で、最初は教習所内を右回りで暫く運転して、かなり慣れてきたので、今度は左回り。
私はどうも左回りが苦手みたいだ。と云うのも、右回りよりも左回りの方がカーブがキツイ。
だからその分ハンドルを切って戻すのが早い。で、あっちゅう間に次のカーブに差し掛かって…となるのだ。でもまぁ12年前にも運転していたので、教官に確りと
「前にも運転したことがあるでしょう」
と云われた。その通り! 流石教官だ(爆)
「身体がちゃんと覚えてますね。この分だと、時間さえ空けずに乗ればどんどん上達しますよ(^-^)」
と云われたが、今日の問題はカーブに差し掛かる時、自分の車の前に遅い車が入ってきちゃうと
『あ〜っ止まっちゃう、ぶつかっちゃう、エンスト起こしちゃう』
のこの3つのことが、同時に頭の中にぼわっと出てきて、パニクっちゃって、ブレーキを踏むのにアクセル踏んじゃったりって失態をしちゃったのだ(爆)
まぁ最初だからしょうがないんだけど。
教習所内のカーブにも当然だけど色々あって、緩やかにカーブが続くところなんか、方向指示機が戻らなくて、自分で戻そうとする頃には次のカーブが来て…ってそんな感じの第一回目の車の運転だった(爆)
あと、直ぐに2ndに入れるのは案外巧く出来るのだが、どうもギヤチェンジをする時、アクセルを踏んじゃってふかしちゃう癖があるっぽい。
それはちょっと注意されたから気を付けなくちゃ。
でも今度は火曜日なんだよね。それも結構早い時間。
3日も時間が開いちゃうから、運転ちゃんと出来るか心配だよ。
って云うか、こんなんで私、ちゃんと免許取れるのかなぁ…(爆)

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「エースをねらえ!」は友情の証し

2000年 6月8日

とうとういや〜な梅雨入りのようだ。
結局、今日は3時間学科を受ける予定だったが、自分のコンディションを考え、行かずに一日中家にいた。
お陰で、大分良くなっているみたいだが、現在殆ど声が出ない状態。
これを過ぎれば、どんどん良くなるのだろうって感じだ。
だから今日は電話も出たくないぐらい。電話もメールも無かったので、良かったと云えば良かったんだけどね。

溜まっているゲームをして時間を潰そうと考えたが、かったるくて(爆)結局、午後からはずーっと「エースをねらえ!」全18巻を読みふけった。
前に一度、この「エース」の話を日記に書いたのだが、アップロードする前にマシンが固まって熱く熱く語った私の「エース」に対する思いは、一瞬にしてブラックホールの彼方へと消えていった。
以来「エース」の話をここに記する気にもなれず、今日まできてしまったが、結局、再び打ち込むことにした。
この「エース」には凄い思い入れがある。
一番最初にこの作品と出会ったのは、私が小学生だった時だ。(爆)
当時、父の仕事で大阪府摂津市に転校していた私は、漫画に夢中だった。
私は「キャンディー キャンディー」が大好きで、単行本を自分の少ない小遣いで買い集め、確か同じクラスの女の子が「エースをねらえ!」を持っていて、いつもお互いに貸し借りをしていた。
と云うことで、話は小学生まで遡ってしまう(爆)
この漫画は1973年から連載が始まっていて、終わったのは1980年。8年間の連載。
それも今から20年も前の話だ(爆)
結局、小学校6年生の卒業する1ヶ月前に現在の横浜に舞い戻ることになり、私は「エース」の最終回を知らないまま、中学生に突入した。
周りで「エース」を持っている人を捜したが結局居なくて、最後を知らないジレンマにずっと襲われることになる。
時は高校を過ぎ、私がデザインの専門学校に通う頃、当時バイトの鬼だった私は、再び「エース」が読みたくなって、バイトもしていることだし、いっちょ全18巻を集めて、自分で「エース」の最後を確認しようと単行本集めをすることにした。
が、元々中学に入って間もなくの頃だと思うが、最終巻が発売されて、かなりの年月が経っている。
当然ながら、本屋で「エース」を扱っているハズもない。
だが、こうなったら自分にも意地があるので(爆)必死と云うか、躍起になって探し始めたのだ。
けど、既に絶版扱いになっているので、当然だが本屋には在庫がない。
そこで、神田の古本屋をあさるところから始まり、地元の本屋、古本屋、バイト界隈の本屋、学校の近所の本屋…と自分が行くところで必ず本屋に立ち寄ってひたすら「エース」を探し求めた。
根気よく探していたが、結局は見つからなかった。
流石にずっと探していたのだが、こうも手応えがないと、こっちもドッと疲れてしまって、結局、1年ぐらい探したが見つからずに諦めかけていたのだ。

私が通っていたデザイン学校は丁度、代々木と千駄ヶ谷の中間ぐらいにあって、家からは代々木の方が近かったので、代々木駅を利用していた。
確か専門学校も2年に上がった時、久々に何か別の単行本を探していた時だったと思う。
代々木には大きな本屋が無かったのだが、友だちがいい本屋を紹介してくれた。
とても小さな本屋だったが、漫画専門の本屋だ。
今ならそんな専門本屋は結構あるが、当時はまだそんなになくて、私にとってはちょっと心擽られるような存在だった。
そこでお目当てだった単行本を購入し、狭い店内を観察していたら何と「エース」を発見したのだ(爆)
最近では、やはり当然のようになっていた、愛蔵版とか、文庫本化というやつで、丁度「エース」は4巻まで文庫本で発売していた。
なんと云う出会い(爆)今でも覚えている。夏の暑〜い日だった。
それから2ヶ月に一度の割合で、2冊ずつ発売していた「エース」を凄い思いで全18巻を集めたのだ。
そして念願は叶う。最後まで読み終えたのだ。
もー、何度読んでもこの漫画は泣ける。ティッシュ1箱は使っちゃうぐらいの勢いだ(爆)
だが、その頃私は初版に凝っていた傾向があったので(現在だってあるけど)やっぱり文庫本ではなく、初版でなくてもいいから、大元の単行本で全18巻を集めたい、という熱い思いがあった。
それを何度も何度も友だちに熱く語っていたので(爆)いよいよ卒業する、という3月頭に、何と友だちがみんなでお金を出し合って、私の誕生日に、と単行本で「エースをねらえ!」全18巻をプレゼントしてくれたのだ。
何人かで手分けして古本屋で、見つけて買ってくれたのだ。
もう感激だった。凄い凄い嬉しかった。
自分で中学の時から思い続けてきた本だ。自分でだって一生懸命に探したから、余計に嬉しかったのだ。
こういう友だちを持てた自分が、凄く誇らしかった。

結局、その単行本が手に入ったので、文庫本の方は全巻古本屋に売ってしまった(爆)
だから、今でもこの全18巻の「エースをねらえ!」は大切に自分の手元にある。
そして、忘れた頃に何度も何度も読み返しては泣き、読み返しては泣く、の繰り返しである(爆)
はっきりいって状態はよくない。カレーみたいなシミだって付いているし(爆)
でも私にとってこの本はかけがえのない本なので、今でも大切に持っている。

20年以上も前の作品だ。服装だって話だってかなりレトロだけど、でも自分の人生を悟られるようなそんな内容だ。自分がくじけそうになった時「エース」を読みふけったりする。
当然、フィクションだけど、それでもこの作品は凄いなぁって今でも思う。
作者は「エース」を書き終えた後、山に籠もって、何かの教祖様になったとか、ってウワサを耳にしたが漫画を描かなくなってしまったことは少し残念だったが、もしかしたら彼女は「エース」で自分の伝えたかったことを全部伝えられたから、描かなくなったのかもしれないなぁ、と、最近では思うようになった。
週間漫画で8年間、よくもまあ、このシリアスな作品を描き続けたなぁと痛感するよ(爆)
それだけ作者は「エース」に思い入れがあったに違いない。

現在はその文庫本も本屋で見かけなくなった。
まぁ、読んでみたいと思う無骨な人がいるならば、いつでも家のマシン部屋に寄ってちょーだい(爆)
持ち出しは厳禁だけど、その場で読むのは、いつでもオッケーよ(^-^)

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教習所日記と徒然

2000年 6月8日

昨日の技能は結局受けられなかった。
と云うのも、咳が酷くて運転中危ないから、と云われてしまい、結局当日キャンセルと同じ扱いになって1000円払うことになってしまった。ガ〜ンッ
でもしょうがないのも事実なのでねぇ。
早くこの酷い咳を止めたいものよ。
夕方、再び病院に行ったら、前行った午前中とはうってかわって貸し切り状態だった(爆)
薬が強くて胃が荒れるので替えて貰い、その上、胃薬も出して貰って何だか薬漬けになっている。
でもやっぱり薬を飲めば咳が緩くなるので、早く治して教習所にガンガン通わなければ。
今週末だけは体調を整えたいから、金曜の技能、今日の学科もどうしようか考えてる。
早くちゃんと治してガンガン通った方が、自分の為にはいいと思うから、あまり無理はせず、もし起きても体調が良くなければ、休もうかなぁ。
急がば回れってヤツだね。

先ほど、夕食を食べたのだが(家はダンナの帰りが毎日遅いので、大体夕飯が24時を廻ることが多い)今日の献立では、収穫したレタスはサラダに。
茄子は焼き茄子にして食べた。
茄子はまだ小振りだったが、ダンナが焼き茄子で食べたいと前に云っていたので、久々にちゃんとおもちを焼く網を引っぱり出して、根気よく焼いた。
しかし、あれって30分以上もかかるんだもん。ガス代がもったいないから、今度からは皮付きを半分に切って、皮の方に筋を入れてフライパンで焼いて食べようと思った。
元々、前に買った茄子が2本残っていたので、収穫した小振りの茄子も2本に留めた。
焼く直前に収穫したので、当然だが茄子が新鮮。
だからなんだろうけど、すっごくクリーミーで舌の上でとろけるような美味しい茄子だった。
毎日毎日お水を上げて育てた甲斐があったなぁってしみじみ思った。
今度はフライパンで焼くか、それとも素揚げにしてぶっかけ菜麺にするか、ちょっと悩んでいる(爆)
いやぁ、取れたての茄子がこんなに美味しいとは思ってもみなかった。
これって凄い大発見だよ!

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ぐったり

2000年 6月7日

咽頭炎が酷いお陰で、一昨日の夜は熱が出てぐったりとしていた。
昨日も相変わらず酷い声で、洗濯物を干していた時、庭先で隣の奥さんと挨拶を交わしたら大爆笑された(爆)
今週末は父の七七日で納骨なので、その時具合が悪いと大変なことになってしまうというのもあって、昨日、教習所は休むことにした。元々昨日は学科だけ3時間受けに行く予定だったし、安静が一番だしね。
でも今日は初の教習所内で車を運転する日なので、休むわけにはいかない。
今は空いている時期だと云うけど、結構混んでいるみたいで、最初に模擬を受けて1週間もあいているから余計に今日は頑張って行かなければ。
そういうのもあって、昨日は行かないことにしたんだけどね。
しかし、こういう声が出ない時に限って、電話が多く掛かってきたり、かけなければならなかったりと喉を酷使してしまった。これで暫くはずっとハスキーヴォイスのままっぽい。
ずーっと昔にも3ヶ月ぐらい声が潰れていたままだった時があった。
それはB\’z黄金時代の頃で(爆)月に最低でも1回はB\’zのライブに通っていたから、ついつい歌いすぎで声を潰しちゃったんだけど、それはそれで、自分では結構気に入っていたのに、3ヶ月ぐらいしたら喉も流石に慣れちゃったようで、いつの間にか元の声に戻ってしまった。
その時はちょっと淋しかったけど、丁度声が潰れていた頃に知り合った人と声が戻った時に再会したら、凄く驚いていたのは印象深かった。
結局、喉が弱いからこういうことになるのだけど、それを何度も経験しているので、自分は歌手にだけはなれないな、と悟ったのも事実だった(爆)
尤もはなから歌手になろうとは思っていないので、どうでもいいことなんだけどね(爆)

1:18 カテゴリー:82's | コメント(0) »

ホームパーティーと大黒様の日

2000年 6月5日

土曜日、ダンナの同級生が家に遊びに来た。最初来るって云っていたメンバーが次々とドタキャンで結局4.5人(子供一人=0.5人)になった。
お昼は鉄板で焼き肉、夜はパスタぱーちーだったのだが、ガンガンお酒を飲んじゃって、久々に潰れてしまった私は、トイレですっきりと吐いて(爆)速攻21時半頃には寝てしまった。
遊びに来てくれたみんな申し訳ない(^_^;)
最近、とんとお酒が弱くなった。アルコールを分解する酵素の働きが弱くなったのを痛感するよ。
年にはやっぱり勝てないねぇ。
で、具合が悪くて寝ているっちゅーに、明け方の5時頃ダンナに起こされた。
それが「ネットオークションでGT-Rのメーターが10000円で出ているんだけど、買ってもいいよね?」ってことだった。具合の悪い時にそういうことするのってちょっと汚いよ、と思いつつ、それどころではないような感じだったので、どうせここで反対しても買う時は買う人なので、テキトーな返事をして追い払ってしまった。
お昼頃起きてその後の話を聞いたら、結局16000円で落札しちゃったと云うのだ。
給料日前だっちゅーのに。おまけに、現在家のテレホが番号を替えたせいで、請求の締めの関係で6日からしか新しい番号でのテレホが使えない。
だから繋ぎっぱなしにすると、通常料金を取られると云うのに、繋ぎまくっていたらしい。
起きて早々私の逆鱗にちょっと触れたダンナだった。
だから私も欲しい鞄を買いに行った。
センター北にあるモザイクモールに夕方行ってL.D.B.と云うブランド(横浜ではここ一店舗しかないらしい)で、ダンナと自分のを色違いでTシャツを購入し、そこでいい感じの鞄があったので購入。その前後にJPGに行って、凄く気に入ったデザインがあったのだが、JPGはHOMMEでも結構ぴちぴち気味なサイズなので、ダンナは細身だが肩幅がとてもあるため迷っていた。
最初に行った時、たまたまJPGの店員が休憩に入っていて、隣のお店の人が一緒に店番をしていた為、詳しいことが分からなかった。
が、帰り際もう一度寄った時はJPGの店員が戻ってきていて、ダンナでも問題な着れると店員が太鼓判を押した。でも一応試着はしてみたら? ってことで、ダンナは元々そういう面倒なことが嫌いなのだが、無理強いして試着させた。
やっぱり見た目と着た目は違って、全く問題なかった。
私も欲しかったのに、ダンナが煩くて諦めた。私は自分のアシ代がもうすぐ入るのでそれで購入しようと思っていたのに…チェッ。
いいもん、こっそり欲しいものをそのうち買ってやるもんっ(爆)

モザイクモールからKみちゃんの家に直行して、今日(もう昨日)は月一恒例の大黒様の日(と云うクラブの集まり)だったので、Kへー君のクルマは現在セッティングの組み直しのためショップに預けているので、今回は家のクルマに同乗での参加だった。
久々に会うメンバーも居て楽しかった。が、髪を切って初めて会う人も多かったので、驚いていたがそれよりも、風邪で咽頭炎を起こしたので、声が潰れちゃっているから、会う人会う人に「歌いすぎたの?」と云われた(爆) 違います。
途中、今回初参加だった登戸在中のMさん夫妻のところには、パーツ部屋があるらしく、
「今度遊びに行ったらみんなで帰りはパーツを身体に隠して帰宅だね」
「いきなり来た時より身長が高くなったりして」
「背中がでこぼこになったりね」
「足にショックを履いて、跳ねながら帰ったりね」
「玄関でブーッって警報鳴ったりしてね」
なんてふざけたことを云って、大爆笑だった。特にKチの彼女Kちゃんは笑い上戸で相当、片腹にドギャンッと嵌まっていたみたいだ。
そしたらハチロクで同乗してきた、名古屋のEさん(女性のR乗り)が参加してきて、実に2年ぶりに私はEさんと話をした。凄く嬉しかった(^-^)
ここ2年はずっとEさんとすれ違ってばかりだったし、なかなか会う機会も少ないので楽しかった。
最近、遊びの予定が目白押しで楽しい。
でもお金もその分かかっちゃうので、やっぱり無駄金は使えないのだ(爆)
でもねー、ダンナに呑まれてお金が飛ぶより全然いいもんねー(爆)

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エレン・なんとかビッチ

2000年 6月1日

昨日、従姉妹と渋谷に「エレン・なんとかビッチ」(結局、最後までタイトルを覚えられなかった)という映画を見に行ってきた。
たまたま、家の近くに母と一緒にパートで働いている人がいて(その息子夫婦は偶然にも家の部屋の上(5F)に住んでいるが面識はない)その人のダンナさんが東急の株を持っているらしく、映画館で使える招待券を譲ってくれたのだ。その期限が5月31日までだったので、行ってきた。
マークシティーでお昼を食べて、そこにあるm.i.x! でちょっと買い物をして、スタバでラテを買って劇場に。
この映画はジュリア・ロバーツが主役の離婚歴2回、3人の子持ちって云う役の水質汚染に関する弁護士関係の話だ。実は実話らしい。
また、ジュリア・ロバーツが凄い乳を強調する服しか着てないので、スゲーデッケーって関心しながら観てきた(爆)でも内容自体は凄く面白かった。やっぱり実話だからかな?
2時間半と上映時間も長かったけど、見に行ったパンテオンは数年前にシートを全部新しいのに換えたので結構疲れなかった。私がバイトしていた頃とは大違いだったよ。

映画の後、東急文化会館の6Fにあるコミックステーションという、コミックばかりを扱っている本屋に寄った。
「赤×黒」の下巻を購入するためだ。
はっきりした発売日は分からないが、多分4月中に発売していたものらしい。
で、必死で探して、そこには下巻が1冊だけ置いてあった。
全く、どこでも片方1冊しかないって…上下巻同時発売なんだから、どちらか一方だけを買うなっつーの。
で、お茶して従姉妹とは別れて帰宅。
続きを読んだが、やっぱり当時連載していた時に大体読んでいた(爆)
でも1話分抜けていたので、辻褄があったのは事実だが、初版でないことにショックだった。
上巻は初版だったのに、下巻は第二版だった。
しかも初版の5日後に第二版を刷っている。
だったらはなから、もっと多く刷っておけよ、小学館(-_-X)

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