1st. ガンダム

2000年 6月21日

只今第一段階最後の学科を受講して一端戻ってきた。
技能は15時前からなので、お昼ご飯を食べに家に戻ってきた、というわけ。
明日は学科のテストだ。引っかけられるか、引っかからないか…鼬ごっこに似ている。

今回の日記は全く関係ない話だが、もうず〜〜〜〜〜〜〜〜っとここに書こう書こうと思っていたことを書くぞ。
先日、高校時代の友だちが父にお焼香をしにきてくれた時の話だったのだが、そこで声優の塩沢兼人氏が結構前に、自宅の階段から落ちて亡くなったことを教えられた。
全然知らなかったので、吃驚した。山田康雄氏や富山敬氏が亡くなったと知った時と同じぐらいの衝撃だった。
で、それを数日前にダンナに話をしたのだが、ダンナは声優の名前なんぞ殆ど知らない。
でもこのアニメのこのキャラの声って云えば、ダンナが知っている作品だったら分かる、と云った感じだ。
で、塩沢さんのことを話した時、どのキャラクターの声だったか、と云うので昔のことを思い出したがどうしてもパッと浮かんできたキャラクターが「銀河旋風ブライガー」のブラスター・キッドだった。
云ってもムダだな…とは思いつつも一応告げたら、やはり「知るか」と返ってきた。
確か機動戦士ガンダムでもジオンの誰かの声を担当していたことは覚えていたのだが、どうしてもそのキャラクターの名前を思い出せずにいた。
先日、ありりがご馳走してくれた日に、後半(´▽`)が合流したので、聞いてみた。
(´▽`)は家のダンナに負けず劣らずガンダム好きなので(爆)
そしたら一発で「マ・クベ」でしょ? と返ってきた。そうだそうだ、マ・クベだ、マ・クベ!
と納得してダンナにそのことをメールした。
その後、またその話になった時、ダンナがこう云ってきた。
ダンナの会社でアニメのことに詳しく、しかもガンダム好きなIさんに、ダンナが「マ・クベのさぁ」と云ったら、速攻Iさんから
「あぁ塩沢兼人? 死んだって話でしょ? かなり古いよ」
と返ってきたと聞かされた。
ううぅぅん、恐るべしIさん(爆)

しかし私が一番アニメに燃えていた時代を代表する声優さんが、一人、またひとりと永眠されていくのはなんとも哀しいことだなぁって思う昨今。

ガンダムと云えば、私も凄くガンダムが好きで、やっとの思いでかなり前だが、最初の3部作をレンタルして8mmに落としたのだが、ダンナと知り合ってガンダムの話で盛り上がりダンナが「またガンダムが見たい」と云ってきたので、当時8mmなんぞ持っていなかったダンナのために私はわざわざVHSに落としてテープをあげたことがあった。
が、その後暫くして、結局ダンナと同棲することになり、その引っ越しの時にダビングしたVHSのガンダムテープ3本が手元に戻ってきた、って云うちょっとムダなこともあった(爆)

私にとってのガンダムってやっぱり最初の作品とその後の劇場版である「哀・戦士編」「めぐりあい宇宙編」の3部作で終わっている(爆)
その後のZガンダムもZZゼータも見てはいたが、あまり面白いとは思えず最後の方まで観れなかった記憶が…。
やっぱりアムロとシャアの話が一番好きだし面白かったと思うので、一応最後? だと云われているF91だっけ? オッサンになったシャアとアムロの最後の戦いだった作品は確り劇場までいって見てきたけど、それで完全に終わっている状態だった。(確か主題歌がTM Networkだったはず)その後もOVAでガンダムの新しいシリーズが色々と出ているが、どうも見る気が起きなかったが、漫画家の友人Sバタなどに聞くとOVAでも「ガンダム0080」は面白いと定評だった。
なのでレンタルしようかなぁって思ったら引っ越して、TSUTAYAが遠くなっちゃったので結局、今でも未だ観れてない。
近所にTSUTAYAがないのはかなり痛いなぁって痛感する昨今。
この辺にもTSUTAYAが出来ないかなぁって密かに思っている、…。
一応、最近OAしていたヒゲガンダムも途中は見ていたが、一時放映時間が変わったりして、結局それについてゆけずに最後まで観れなかった。
Sバタなどの話では、最近のガンダム作品としてはまぁ面白かったと云う。

ガンダムと云えば、昨秋の引っ越しの時、もう荷物がハンパなく多いので、泣く泣く古本屋に売ってしまったが富野由悠季が書いた最初のガンダムの文庫本3冊の方では、セイラとアムロが出来ちゃって、最後アムロの子供を身ごもって終わるんだけどね、
その後ってどうなっちゃったのかなぁ…なんて中学時代だったか高校だったかの頃よく考えていた時期があった。
F91の終わり方もそうだったが、最後死んだのか、生きているのか曖昧な終わり方をされたので当時は どうも私は腑に落ちない部分があったりした。
まぁ、ああいう終わり方が一番ファンに対しては良心的だったと今では思えるけど…。
元来、アムロのスケベーでイヤらしい性格がいいと云うのか悪いと云うのか…。
尤も私は赤い彗星の方が好きだったので、アムロは二の次なんだけど(爆)

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恩師 逝く

2000年 6月21日

食後に風邪薬を飲んだら、昨日は全然平気だったのに、今は副作用なのかフラフラして手も震えちゃう。
何なんだろう。飲むタイミングが悪かったのかなぁ。それとも水が足りなかったのかしら…。

19日の夜も割と遅い時間に、中学時代の同級生から電話がかかってきた。
社会人になって、1-2度会ったぐらいだから、かなり久々に話をしたが、内容に驚いた。
中学時代、私は確か2年から高校受験の対策として、近所に在った塾に通っていた。
そこの塾長だった恩師の先生が、癌で亡くなった、という報告電話だった。
はっきりした年齢は覚えてないが、多分、私が中学の頃20代半ばから後半だったと思う。
だから40代前半で永眠したことになる。早すぎる死に唯々驚くばかりだった。
先生のところは子供が居ないらしく、奥さんはさぞかし落胆されていることだろう。
私も最近、父と云う身内を亡くしたので、奥さんの気持ちが少しは分かる、と思う。
一緒の塾に通っていた女の子一人から電話が入ったのだが、彼女ともう一人別の女の子は20日の通夜に参加するって話だった。残りもう一人の女の子は、現在松戸に住んでいて、その上子供が未だ小さいから欠席だとも聞いた。他にも一人の男の子は参加するって聞いた。
私は、教習所から夕方帰宅して、その後従姉妹と渋谷に出かける約束をしたので、通夜には参加出来ないことを告げ、かわりにお悔やみ電報を打った。

その先生は塾長で、数名の先生と塾を経営しつつ、自分でも自ら数学を教えていたのだが、当時の私らからみれば、凄く楽しく面白く、ちょとカッコイイお兄さん的存在だった。
だからなのかもしれないが、結構先生の死は衝撃的だった。
はっきりとは分からないが、先生はかなりの豪酒だったようで、多分肝臓癌ではないかねぇって話だったが、高校に入って、確か一度だけ結婚した先生の家に遊びに行った記憶がある。
それが先生とは最後の顔合わせだった。
いつからかは知らないけど、結構前に塾自体は畳んでしまったらしいが、先生の教え方はとても分かりやすかったことを今でも覚えている。
ご冥福を祈ります。

話は変わって、今日の教習は学科1時間、技能1時間。
学科は明日の1時間を受け終わった段階で、仮免前効果測定とかって云う学科の試験を受けなければならない。いよいよだ。ひっかけ問題に引っかからないようにしなくちゃ。
技能の方は、今日も引き続きクランクとS字の練習ばかりをやった。
坂道発進は大丈夫でしょうって教官に云われ、今回はやらなかったので、大丈夫か? アタシ…って思った。が、まぁ今後もまだ教習所内で坂道発進はするから問題ないでしょうって話だった。
土曜に乗ってきたのに、日・月と2日間も空いているので、最初はちょっと脱輪したりしちゃった。
でも何度かすれば、感覚を思い出して、最後には認め印を貰った。
今日の教官は女性で、何だか今のところ男女交互に指導して貰っているみたいだ。
しかし、そろそろちょっとペースアップした方がいいかもしれないので、近々からキャンセル待ちもしてみようかなぁってちょっと思っている。

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