82’s

ドラマ

2000年 6月23日

ドラマの話だが、続々と最終回を迎えている。
「太陽は沈まない」は予想通りの終わり方だったので、何も云うこと無いが(そもそも内容からしてそういう終わり方しかないだろうって話だったしね)IWGPはなんなんだーって感じな終わり方だった。
元々は、全然興味が無かったドラマだった。大体終わり方が見えているし、子供じみていると云うか現実味がない内容っぽいしね。
だけど、何故かSバタのところにアシに行くのが金曜というのが多くて、そうするとねTOKIOファンなSバタ邸では、TVからIWGPが流れているので、ついつい見ちゃっうんだよね。
で、毎回ではないけど飛ばし飛ばしで見ていて、それでも大体の内容が分かっちゃうところがね…。
で、最終回だったからついつい見ちゃったんだけど、やっぱりこういう終わり方かいって感じだった。
それより、QUIZの方が従姉妹と本当に犯人が誰だか分からなくて、誰だろうってずーっと云っていたんだけど、まさか子供が犯人だとは考えも付かなかった…けど、それと竜雷太とどういう関連があるのかサッパリわからん。子供だけであそこまで出来るとは思ってもいないけど、だからってどこで 竜雷太が繋がるのかなぁってちょっと腑に落ちないまま終わってしまった。
一応、子供が犯人な訳で、こういう場合って罪には問われないの?
児童法があるから多分無いんだと思うけど、いくら家族の絆が強まったからと云って、あそこまで色んな大人を巻き込んでもいいものか…って考えがある。
確かに今現在は子供の犯罪が増えていて、それって家族さえ確りしていれば、両親がちゃんとしていれば子供の犯罪は少なくなることもあるとは思う。
でも例え、今回のようなドラマを放映したとして、それに気づく子供や大人たちは一体どれぐらい居るのかなぁって疑問だな。
昔と違って情報社会になっている今は、ネット犯罪を筆頭にどんどん犯罪そのものが複雑化していると思うし、昔に比べて便利な世の中だとは思うけど、昔よりも住み難くなっているとも思える。
こんなこと云うこと自体、もうオバサンなのかもしれないけど(-_-;)
自然もどんどん無くなってきているし、環境破壊も著しい。だから温暖化も進んで、夏の猛暑は昔では考えられないぐらい暑いなって思う。
私が子供の頃なんて、夏は扇風機でも過ごせたもんね。今では絶対無理。
だから春の季節でもキャミソール姿だって平気であまり寒くないし、季節感もどんどん無くなっているような気もするなぁ。何だかそれって凄く淋しいって思える。
そんなにではないけど、あちこち海外に行ったりして、その都度日本は四季がはっきりしていていいなぁって思って帰国するのに、その四季も最近では何だかはっきりしないみたいな感じで、この先将来どうなっちゃうのか結構不安だな。
科学の進歩は著しいって云ってはいるものの、その温暖化を止めたりすることって出来ないのか? と思うとやはり未来はあまり良くないのかもしれない…。

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教習所日記とATM

2000年 6月22日

あぁぁぁぁぁぁっ
夕方技能1時間受けてきた。今日の技能はちゃんと方向指示器を使って方向変換や車線変更出来るかって技能だった。
これがもぅ…すげ〜難しい。
なんでここにきて躓くのかなぁってぐらい(爆)
やっぱり運転中の私は視野が狭いと改めて実感した1時間だった。
1 ルームミラーで安全確認
2 合図を出す
3 ドアミラーと目視で安全確認
4 方向変換
5 中央線に寄って右折(左折の場合はキープレフトのまま)
っちゅうのがねぇ…。例えばこれによって右折をしなければならない時は、車は当然キープレフトで走ってなければならないところを中央線に寄って右折。
これが左折だったらキープレフトのまま、小回りで左折。この時、巻き込みをしないよう、念のために目視で巻き込み確認をしなければならないのだ。
今までは車体の感覚や、ハンドル動作、信号での右左折などなどそういう車を運転するための基本操作を教えて貰っていて、今回のように、方向変換する場合のここまで細かいやり取りなんかしなくて取り敢えず、右左折と障害物を避けて走る時に方向指示器で合図を出して走る程度だったからちゃんとそれを曲がる30メートル前から、車線変更の場合はそれをする3秒前からしなければならないことが、こんなに難しいのかぁって痛感してボロボロになって帰ってきたよ(爆)
安全確認して、合図を出して目視してってのは何とかいいんだけど、そっちに気を取られると中央線に寄るのが遅かったりするんだよね。
でも一応認め印貰ったんだけど、今度は教官が、いちいち「はい安全確認…」などと口で云ってはくれないので、自分でちゃんと出来なければ、当然試験の時は減点対象になっちゃう。
それと、やっぱり優先道路に出るのが遅いなぁって今日も自覚してきた。
分かってはいるのだ。でもついついクラッチの繋ぎに慎重になりすぎて(エンストを恐れて)出そびれてしまう。頭では分かっているけど、それを動作で瞬時に行うってことが凄く難しいって改めて思う今日の技能。
明日(ってもう今日か)は朝、仮免前の学科試験を受けて、でも全く勉強してないので大丈夫なのか? こんなんで(^_^;) 夕方の技能はAT車だ。
これが終わって、あと数時間乗って、認め印を貰うと無線車だ。
新しい配車の予約をしたところ、このまま順調にことが済めば7月5日が1段階のみきわめ。
果たしてちゃんと予定通りみきわめまで到達するのか乞うご期待(爆)

ボロボロになって帰宅して暫くして、夕方母と某銀行のATMの前で待ち合わせをした。
母は機会音痴なので(爆)ATMでの振り込み方法が分からないらしく、一緒に私が付いていって操作方法を教えて上げる、と云うのが目的だった。
多分、基本的な操作は出来るのだ。自分一人だとどうも焦っちゃって出来ないと私は踏んだ。
今回も一緒に振り込みをしたら、難なく出来た。これで何とかマスターできたかな?
今日はそのATMの傍にある大型スーパーが定休日で買い物が出来ないので、それが終わってから私は序でに観念して駅前まで出て、駅前のスーパーで買い物をして帰るつもりでいた。
それを母に告げると、母もじゃあ序でだから一緒に行って私も買い物をしようかなってことになり久々に母と二人でチャリを漕ぎ、駅まで走っていった。
母と買い物をすると結局、支払いが母の財布からになってしまう。
ちょっと申し訳ないなぁって最近は思うのだが、まぁ払って貰えるのはとても有り難いのでついついそれに甘える私(爆)
本来ならば、実家と家は駅を挟んで反対方向にあるので、買い物が終わったら、母とは全く反対方向に別れるはずだが、私の住む地元は駅が高台にあるので、実家にしても家にしても、下り坂なのだが実家の方が急な坂で途中急カーブでもあるため、年な母に取っては、やはりその坂を自転車で下るのは怖いらしい。で、今日が定休日だった大型スーパーの隣りにマツキヨがあって、そこでも買い物をすることになり、結局母も今来た道を私と一緒に戻って、そこから実家に帰ることになった。
私が帰る道の方が坂は長いが傾斜は緩い。
結局、どっさりと買い物をして、フラフラと走りながら母とは別れた。
何故ならば、私のチャリは無印のシャフトドライブの2つ折り自転車なので、篭が付けられないから買い物をしたら、ハンドルに掛けて来るしか術がない。
これって最近はチャリで買い物に行くことが多いので、不便だなぁと思うのだが、チャリを新調する気はさらさらないので、早く頑張って車の免許を取得し、Sバタから譲り受けた原チャリの翔くんで買い物に行きたいと思う私でござる。

ダンナからのカエルコールが今来たが、明日は試験で早いとメールを早々に送ったことに最終電車に乗ってから気づいた、と云って、結局終電を途中で降り、徒歩で会社の戻ると云っていた。
どうせこの時間になるんだったら帰ってきてくれた方がラクだ、こっちも。
まぁ結局遅くに帰宅しても試験で早い時間に私が出るので、それに合わせて起きるのが辛いからなんだが、なんで気づくのが遅いのだ。何のためにメールをちゃんと送ったのか、これじゃぁ全く意味がないぢゃんか。
仕事で遅いのも分かるが、試験が早いのは私の所為ではなく、教習所が勝手に決めているのだから不可抗力じゃん。やり場のないこの気持ち…・もーっ何なんだよ〜(;_;)

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1st. ガンダム

2000年 6月21日

只今第一段階最後の学科を受講して一端戻ってきた。
技能は15時前からなので、お昼ご飯を食べに家に戻ってきた、というわけ。
明日は学科のテストだ。引っかけられるか、引っかからないか…鼬ごっこに似ている。

今回の日記は全く関係ない話だが、もうず〜〜〜〜〜〜〜〜っとここに書こう書こうと思っていたことを書くぞ。
先日、高校時代の友だちが父にお焼香をしにきてくれた時の話だったのだが、そこで声優の塩沢兼人氏が結構前に、自宅の階段から落ちて亡くなったことを教えられた。
全然知らなかったので、吃驚した。山田康雄氏や富山敬氏が亡くなったと知った時と同じぐらいの衝撃だった。
で、それを数日前にダンナに話をしたのだが、ダンナは声優の名前なんぞ殆ど知らない。
でもこのアニメのこのキャラの声って云えば、ダンナが知っている作品だったら分かる、と云った感じだ。
で、塩沢さんのことを話した時、どのキャラクターの声だったか、と云うので昔のことを思い出したがどうしてもパッと浮かんできたキャラクターが「銀河旋風ブライガー」のブラスター・キッドだった。
云ってもムダだな…とは思いつつも一応告げたら、やはり「知るか」と返ってきた。
確か機動戦士ガンダムでもジオンの誰かの声を担当していたことは覚えていたのだが、どうしてもそのキャラクターの名前を思い出せずにいた。
先日、ありりがご馳走してくれた日に、後半(´▽`)が合流したので、聞いてみた。
(´▽`)は家のダンナに負けず劣らずガンダム好きなので(爆)
そしたら一発で「マ・クベ」でしょ? と返ってきた。そうだそうだ、マ・クベだ、マ・クベ!
と納得してダンナにそのことをメールした。
その後、またその話になった時、ダンナがこう云ってきた。
ダンナの会社でアニメのことに詳しく、しかもガンダム好きなIさんに、ダンナが「マ・クベのさぁ」と云ったら、速攻Iさんから
「あぁ塩沢兼人? 死んだって話でしょ? かなり古いよ」
と返ってきたと聞かされた。
ううぅぅん、恐るべしIさん(爆)

しかし私が一番アニメに燃えていた時代を代表する声優さんが、一人、またひとりと永眠されていくのはなんとも哀しいことだなぁって思う昨今。

ガンダムと云えば、私も凄くガンダムが好きで、やっとの思いでかなり前だが、最初の3部作をレンタルして8mmに落としたのだが、ダンナと知り合ってガンダムの話で盛り上がりダンナが「またガンダムが見たい」と云ってきたので、当時8mmなんぞ持っていなかったダンナのために私はわざわざVHSに落としてテープをあげたことがあった。
が、その後暫くして、結局ダンナと同棲することになり、その引っ越しの時にダビングしたVHSのガンダムテープ3本が手元に戻ってきた、って云うちょっとムダなこともあった(爆)

私にとってのガンダムってやっぱり最初の作品とその後の劇場版である「哀・戦士編」「めぐりあい宇宙編」の3部作で終わっている(爆)
その後のZガンダムもZZゼータも見てはいたが、あまり面白いとは思えず最後の方まで観れなかった記憶が…。
やっぱりアムロとシャアの話が一番好きだし面白かったと思うので、一応最後? だと云われているF91だっけ? オッサンになったシャアとアムロの最後の戦いだった作品は確り劇場までいって見てきたけど、それで完全に終わっている状態だった。(確か主題歌がTM Networkだったはず)その後もOVAでガンダムの新しいシリーズが色々と出ているが、どうも見る気が起きなかったが、漫画家の友人Sバタなどに聞くとOVAでも「ガンダム0080」は面白いと定評だった。
なのでレンタルしようかなぁって思ったら引っ越して、TSUTAYAが遠くなっちゃったので結局、今でも未だ観れてない。
近所にTSUTAYAがないのはかなり痛いなぁって痛感する昨今。
この辺にもTSUTAYAが出来ないかなぁって密かに思っている、…。
一応、最近OAしていたヒゲガンダムも途中は見ていたが、一時放映時間が変わったりして、結局それについてゆけずに最後まで観れなかった。
Sバタなどの話では、最近のガンダム作品としてはまぁ面白かったと云う。

ガンダムと云えば、昨秋の引っ越しの時、もう荷物がハンパなく多いので、泣く泣く古本屋に売ってしまったが富野由悠季が書いた最初のガンダムの文庫本3冊の方では、セイラとアムロが出来ちゃって、最後アムロの子供を身ごもって終わるんだけどね、
その後ってどうなっちゃったのかなぁ…なんて中学時代だったか高校だったかの頃よく考えていた時期があった。
F91の終わり方もそうだったが、最後死んだのか、生きているのか曖昧な終わり方をされたので当時は どうも私は腑に落ちない部分があったりした。
まぁ、ああいう終わり方が一番ファンに対しては良心的だったと今では思えるけど…。
元来、アムロのスケベーでイヤらしい性格がいいと云うのか悪いと云うのか…。
尤も私は赤い彗星の方が好きだったので、アムロは二の次なんだけど(爆)

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恩師 逝く

2000年 6月21日

食後に風邪薬を飲んだら、昨日は全然平気だったのに、今は副作用なのかフラフラして手も震えちゃう。
何なんだろう。飲むタイミングが悪かったのかなぁ。それとも水が足りなかったのかしら…。

19日の夜も割と遅い時間に、中学時代の同級生から電話がかかってきた。
社会人になって、1-2度会ったぐらいだから、かなり久々に話をしたが、内容に驚いた。
中学時代、私は確か2年から高校受験の対策として、近所に在った塾に通っていた。
そこの塾長だった恩師の先生が、癌で亡くなった、という報告電話だった。
はっきりした年齢は覚えてないが、多分、私が中学の頃20代半ばから後半だったと思う。
だから40代前半で永眠したことになる。早すぎる死に唯々驚くばかりだった。
先生のところは子供が居ないらしく、奥さんはさぞかし落胆されていることだろう。
私も最近、父と云う身内を亡くしたので、奥さんの気持ちが少しは分かる、と思う。
一緒の塾に通っていた女の子一人から電話が入ったのだが、彼女ともう一人別の女の子は20日の通夜に参加するって話だった。残りもう一人の女の子は、現在松戸に住んでいて、その上子供が未だ小さいから欠席だとも聞いた。他にも一人の男の子は参加するって聞いた。
私は、教習所から夕方帰宅して、その後従姉妹と渋谷に出かける約束をしたので、通夜には参加出来ないことを告げ、かわりにお悔やみ電報を打った。

その先生は塾長で、数名の先生と塾を経営しつつ、自分でも自ら数学を教えていたのだが、当時の私らからみれば、凄く楽しく面白く、ちょとカッコイイお兄さん的存在だった。
だからなのかもしれないが、結構先生の死は衝撃的だった。
はっきりとは分からないが、先生はかなりの豪酒だったようで、多分肝臓癌ではないかねぇって話だったが、高校に入って、確か一度だけ結婚した先生の家に遊びに行った記憶がある。
それが先生とは最後の顔合わせだった。
いつからかは知らないけど、結構前に塾自体は畳んでしまったらしいが、先生の教え方はとても分かりやすかったことを今でも覚えている。
ご冥福を祈ります。

話は変わって、今日の教習は学科1時間、技能1時間。
学科は明日の1時間を受け終わった段階で、仮免前効果測定とかって云う学科の試験を受けなければならない。いよいよだ。ひっかけ問題に引っかからないようにしなくちゃ。
技能の方は、今日も引き続きクランクとS字の練習ばかりをやった。
坂道発進は大丈夫でしょうって教官に云われ、今回はやらなかったので、大丈夫か? アタシ…って思った。が、まぁ今後もまだ教習所内で坂道発進はするから問題ないでしょうって話だった。
土曜に乗ってきたのに、日・月と2日間も空いているので、最初はちょっと脱輪したりしちゃった。
でも何度かすれば、感覚を思い出して、最後には認め印を貰った。
今日の教官は女性で、何だか今のところ男女交互に指導して貰っているみたいだ。
しかし、そろそろちょっとペースアップした方がいいかもしれないので、近々からキャンセル待ちもしてみようかなぁってちょっと思っている。

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クレーム

2000年 6月20日

昨日寝て間もなく、あちこち蚊に刺されたらしく痒くて目覚めた。
その時、ちょっと左目の瞼のところも痒かったので、無謀だとは思ったが、序ででウナコーワクールをちょっぴり付けて寝た。んも〜スースーしてなかなか眠れん(爆)
朝起きたら、お岩さんのようにぷくぅと膨れていた。人に会うのがちょっと恥ずかしい。
今日(もう昨日だけど)教習所が休みの日で良かった。

それはさておき、月曜は毎週生協の日で、生協を待った後、夕方に近所にある大きめのスーパーに晩ご飯のおかずにすべく材料を買いに出かけた。
そこで、セロリを1本買ったのだが、2本だと200円、1本だったら120円っていうセロリだった。
どうせ買うのだったら2本買った方が安上がりなのだが、2本でテープ止めされているセロリがどれもあまり品が良くなかったので、1本だけ購入したのだ。
で、レジでのことだが、最近のレジは大体バーコードをセンサーでピッって関知させると自動的に金額が入力されるシステムだが、そのスーパーもそれだ。が、たまたま並んだレジの女の子がセロリだけを手でボタンを押したのだ。
良く特売品などは、バーコードを通さずにその日レジで設定されているボタンをピッと押せば商品名と金額が入力されるってヤツなんだけど、彼女はちゃんと商品も確認せず、私は1本のセロリを購入したのに、2本分の200円を手でボタンを押して打ち込みをしたのだ。
大体買い物をする時、主婦は金額を確認して買い物かごの中に入れる。
だから大まかな金額は覚えているものだ。
たかが80円だったから、レジも長蛇の列だし、いいか…と最初は思い、そのまま終了して荷物を袋詰めしていたのだが、やはり80円と云えど侮れない。されど80円だ。
で、結局、そのレジにまた戻り1本のセロリしか買っていないのに2本分請求されたことを告げ80円と消費税分の4円を返金して貰った。
オバサンパワー炸裂と云われればそれまでだが、でもやっぱり80円だって大切な現金だ。
ちゃんと返金してもらって良かったと思った。

オバサン序でに、ずーっと思っていたことがあるのだが、今は教習所に通っているので、もっと詳しくなっているけど、もう何年も前からずっと気になっていたことがある。
それは、世間の人の常識だ。
特に交通関係の常識が、最近の世間の人々には皆無と云っても過言ではないな…と痛感した。
昨夏、妊婦だった頃、つわりがとても酷くて病院帰りの時だった。
バスがタイミング悪かったので、頑張って徒歩で帰ろうと思っていた時の出来事。
駅から近いところだったのだが、信号待ちの後、青に変わったので、私は当然の如く横断歩道を渡っていた。ところがだ。前方から右折車が来ていた。
当然のことだけど、横断歩道を歩行者が渡っている時、車は歩行者が通行するまで待たなければならない義務があるのだ。
私はつわりで青ざめた顔をしながら、少しゆっくり横断していたのは確かだ。
だが、ちゃんと青信号で横断歩道を渡っていると云うのに、その前方からの右折車からものすごい勢いで、けたたましくクラクションを鳴らされた。
挙げ句、私が通り終わろうとした時、無理矢理突っ込んできて、一時停止し「さっさと歩け! バカヤロウ!!」
と叫びながら凄い勢いで右折していった。(因みにコイツは中年オヤジだった)妊婦でなかったら、つわりが酷くなかったら絶対にそのまま車を追いかけケンカを売って、警察を呼んでいたに違いない。でもそれは出来なかった。
帰宅して、ダンナにそのことを報告して、大層怒っていたのを今でもよーく覚えている。
そういうことに遭遇することが何故かとても多い。しかもダンナが居ない時にだ(爆)
そして最近、良く遭遇することが、歩行者専用の歩道を歩いている時、後ろから来る自転車が凄い勢いでベルをチリチリ鳴らしてくるのだ。
私は端には避けない。だって歩行者専用の歩道なのになんで避けなければならないのだ。
自転車は軽車両と云って、立派な車輌なのだ。
だから本来、歩行者専用の歩道は自転車を運転して走ってはいけないのに、それを殆どの人が分かっていない。
因みに私は自転車に乗る時は車道を運転する。
それは決まった交通ルールなのに、全く理解してなくて、挙げ句にオバサンなどから「ベル鳴らしているんだからさっさとどきなさいよ」とつい数日前にも云われた。教習所帰りで、その時は徒歩だった。
私はカチンッときてオバサンに云い返した。
「ここは歩行者専用の歩道だから本来なら自転車は通ったらダメなんですよ。それで堂々と『サッサとどきなさいよ』はないんじゃないの?」
と、かなり怒った口調でそのオバサンに云った。そしたらそのオバサンったら凄いよ。
「でもこの自転車はエンジンが付いてないから歩道を走っても良いのよ、 何いってんの?」と。
「エンジンが付いて無くても自転車やリヤカーは軽車両だから歩行者専用の歩道は走っちゃダメなの。
だから歩行者を一番優先しなくちゃダメなのに、何がチリチリだっ!」
とけたたましく捲し立てたら「フンッ何なのよ、この子」と捨てセリフを吐き、ものすごい勢いで自転車を飛ばして行ってしまった。
はっきり云って気分が悪い。そんなことが立て続けに何度も遭って、流石の私もキレる寸前だ。
最近では20代の茶髪女にもそれをやられて相当頭に来て、その場で警察を呼ぼうかと思ったぐらいだ。
全く、何様なのだ。最近の世の中は間違いだらけだ。くそぅっ!!
自転車のルール違反でも罰金を取るって条例作ってくれないかなぁ。

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写真展と4℃

2000年 6月19日

土曜の夜、教習所から戻って暫くしてダンナの車のクラブの神奈川の人でファミレスMTGを初めてすることになっていて参加してきた。知っている顔が半分ぐらいで(爆)後は殆ど初めてのご対面って感じだったけど、ちょっとだけど色々な人と色々な話が出来て私は楽しかった。
結局、1時過ぎまでファミレスに居たので、やっぱり帰宅したら、ばたんきゅ〜っをしてしまった。
最近どうも眠い。多分教習所に通っているせいだ。睡眠時間が少ないからなんだと思うのよん。

日曜はダンナはお昼頃に起きたらしい。珍しい(爆)
私は13時半頃までベッドでうだうだしていた。どうせ今日も何も予定がないから、うだうだしていたっていいだろうってちょっと思っていたら、ダンナがいきなり「Bunkamuraでやっている写真展に行きたい」と云ってきたので、夕方から出発することにした。
が、今日は雨だっと思っていたら、起きたら晴れているんだもん。これゃチャ〜ンスッと思って起きて速攻洗濯を回した。
で、洗濯を干して、ダンナと一緒にサニーレタスとスウィートバジルの収穫をした後に車で渋谷へ。
新しく出来た丸子橋を初めて私は通って、ちょっとウキウキ(爆)
途中までは順調だったが、目的地が渋谷なもんだから、いくらビーコンを使って渋滞を迂回して行っても、最終的には246を走らなければならず、結局246で渋滞に嵌まった。
渋谷ではいつも使っている区が運営している駐車場に車を止めて、早速行ってきた。
「ヤン・アルテュス=ベルトラン写真展〜空から見た地球」という写真展で、この写真家がここ10年で五大陸73カ国を気球やヘリを使って飛んで撮ってきた様々な写真展だ。
前に車内刷りでハート型になっているマングローブの林の写真を見たことがあった。
つい最近、従姉妹と渋谷に映画を見に行った時の帰りだったと思う。
結構興味があったので、丁度良かった。
日本の写真も今回の写真展のために、朝日新聞が協力して、ヘリを飛ばして撮ったものもあった。
大阪城や広島の牡蠣の養殖をしている瀬戸内海の写真、姫路城、新宿副都心、都庁、クラブでも良く行く大黒PAなどなど。
凄く素晴らしい写真だった。
まぁ日本のは二の次でいいのだ。世界の色々な国の自然に出来た素晴らしい写真の数々を堪能してきた。
ダンナはU.S.A.のイエローストーン国立公園の写真を見ながら「行きてー」と呟き、でもその直後に「ここは上空から見るからいいんだろうなぁ」などとも云っていた。
確かに上空からの写真は普段では観れない景色ではある。地上からでは絶対に味わえないのだろう。
特に私たちは、新婚旅行でオーストラリアのエアーズロックに行った時、ヘリに乗って上空からそういう景色を見てきたので、それはやはり陸からでは観れない景観で、またダイナミックだったりするものだ。
それを知っている分、ちょっと今回の写真展にはそそられるものがあった。
日曜だったので、閉館が19時で、結局ぎりぎりまで見て出てきた形になった。

パチンコでちょっと勝った私は、帰りにハンズで原チャリを乗る時用のヘルメットを購入したかった。
ダンナのフルフェイスだと面倒くさいので、ゴーグルが付いているヤツが欲しかったのだ。
が、目的地に向かう途中、二人とも喉が乾いていたので、近くにあるオープンカフェについついフラフラと入り、その上そこで3杯ものビールを呑んで、結構長居をしてしまった。
そこで色々な話をダンナと久々に外で呑みながら出来て、ちょっと嬉しかったりした(^-^)
が、長居したばかりにハンズも営業時間が終わってしまい(爆)私のヘルメット購入計画は見るも無様に終わってしまった。
しょうがないから帰ろうか、と云って駐車場に向かって歩いていた時、4℃の指輪が見たかったことを思い出した私は、途中PARCOの4℃売場に寄ることにした。
実はここでマリッジリングを購入していたので、お店に行って指輪を見ている時に、マリッジリングや他にしている4℃のリングの洗浄をお願いしようと思っていた。
そしたら、突然ダンナが
「中指にするごっついリングが欲しい」
と云ってきた。呆気にとられた(爆)
元々、ダンナは指輪なんて全く興味なしの人だ。マリッジリングを選ぶ時も私が4℃が大好きで、これだけは絶対に譲れないから4℃のマリッジリングを買わせろ! とダンナに豪語した程で一緒に連れていった時も私はごっついマリッジリングが欲しかったのに、ダンナがごついのは違和感があるからダメ、と却下し今日に至っていたのに(だから結局、マリッジリングは私が欲しかったひねりの入っているデザインではあるものの、ボリューム自体はさほどないリングになってしまった)それがマリッジリングをサイズ直しをしたのだが、出来上がってきたものがボリュームがあまりないリングだったので、緩くて落としそうだ、とダンナが云うため結局、今はマリッジリングの留め金となるシルバーの安物の、昔私が親指にしていたリングをしているのだが、それでボリューム自体には慣れてしまったらしい。
だからそう云ってきたのだろうが、突然だったのでちょっと驚いたが、これはチャ〜ンスッと思って、ボリュームのあるペアのシルバーリングをその場で速攻決めて買ってしまった(爆)
その上、私は結局、ゆっくり他の指輪を見ることもなく(爆)まぁそもそも閉店ギリギリに行ったので時間が無かったのは事実だからしょうがないけど、でもダンナから指輪が欲しいと云うことはもうないかもしれないし、かなり満足したのだった(爆)
で、これはチャンスだから、ってことで結局マリッジリングをちゃんとしたサイズに治して貰うことに。
で、ダンナのマリッジリングは預け、購入したシルバーのペアリングは持参してお店を出た。
その後、もう家でご飯を作るにも近くのスーパーなんてやっていない時間だったし、ダンナが会社のMくんと一緒に行って旨かったと云う、中目にあるラーメン屋でラーメンを食べて帰宅。
結局、ル・マンのゴールを見ることもなく、今日が終わろうとしている。
マッチは入賞出来たのかなぁ。
今年は日産が結局ル・マンから撤退したのであんまり興味が無かったけど、それでも日本人ドライバーが検討して走っている姿を見て、やっぱりちょっと応援はしたくなっていたんだけど…
すっかり忘れてビデオを録っていた鉄腕DASHと特命リサーチ200Xを見ているうちに夜のオンエアを見そびれてしまった。
まぁいいんだけど。

しかし、結局自分で久々にやったパチンコで勝ったお金が一気にぶわっと飛んでしまった。
でもまぁそれがダンナとペアのリングだっていうのは嬉しかったりするので、いい買い物をしたかな? って素直に思っていたりする私ってちょっと可愛い?かも←ばか?(爆)

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教習所日記と徒然

2000年 6月17日

木曜の夜、渋谷でありりと合流して久々にとある飲み屋に行った。
相変わらず混んでいて30分近く待たされたが、他のお店に廻る気もなく素直に二人でだらだらと待っていた。
カウンターが空いて、飲み始め〜(^-^)
ダンナはお小遣いを貰っている人だから奢らないよ! とありりと云っていたけど、ちょっと気になったので連絡したが、出れそうにないとのことだった。
まぁそんな返事がくるだろうとは想像していた。家のダンナはいつもこうだ。
私が飲みに行くって時に限って合流とか出来ないんだよね。
尤もはなから期待してなかったからいいんだけど、念のため連絡を入れてはいた。
ありりの彼(´▽`)は2日続けて出張で、会社で仕事が溜まっているから忙しくて今日は来れないと云っている、とありりから聞いた。
最近の私は滅多に外で飲み会ってことがないから、顔だけでも出せ! と電話やメールを送ったら律儀にちゃんと顔を出してくれた。ありがとーよ(´▽`)
折角(´▽`)も合流したのだから、どうせだったらちょっとぐらい仕事を早く切り上げてダンナも来れないものか…と電話もしたが、やっぱり来れないとの返事だった。
後に分かったが、どうも会社の人と外で食べていたか呑んでいたっぽかった。
本人に全く来る気がないと分かったので、3人でわいわい話ながら、美味しいお酒を飲みつつ楽しいひとときを過ごして、終電に乗って帰ってきた。
帰り際、終電に乗ったことをダンナにメールしたら、ダンナは地元の駅までは来れない、東横線そのものの最終に乗ったとメールが来た。
私の方が先に家に着くし、金曜は(私にとっては)早朝から学科を2時間受けなければならないのでお酒もべろべろにならない程度に呑んできたのだ。
ここまでは上機嫌だった。ありりにご馳走して貰って、私のためにわざわざ帰りに飲み屋に顔を出してくれた(´▽`)にも会えたし、これで機嫌が悪いとは普通云わないわな。
が、自宅付近まで歩いて来た時、ダンナから電話が入った。
駅に着いたが、前に会社の人に家まで送って貰ったので、今日はダンナがその人を上野まで送らなければならないって話だった。
別に私が送る訳ではないから、どうでもいいが、大体上野って家と全く反対方向なのに、これから上野まで行くのか。ご苦労なことだ。と思っていた。
1時20分頃私は帰宅し、ダンナのことなど待たずに先にお風呂に入って、早朝の学科を考え早々に寝ようとお風呂に入ろうとした頃、エンジン音がけたたましく鳴り響き、上野に向けて出発したようだ。
シャワーを浴びて1時40分にはベッドに入って、目覚ましをセットして寝入った。
遅くても9時過ぎには家を出なければ学科に間に合わないからだ。
1時半に出発したダンナは、いくら夜中とは云え上野まで往復1時間で帰ってこれるわけがない。
実際何時に帰宅したのか私は知らないが、熟睡して寝入っているところを凄い勢いで起こされた。
「明日も今日と同じ時間だからちゃんと起こしてね」
と。はっきり云って凄く機嫌が悪くなった。明日は学科が早い時間だと云うことを、ダンナにもちゃんと伝えていた。それを知っていて、真夜中何時だか知らないが、起こされる身にもなって欲しい。
自分が全く同じことをダンナがされたらそうとう怒るはずだ。
そういうことは何故考えないのだ。
もうさっさと寝たいから、適当にあしらってそのまま寝たが、目覚ましの音で起きて、私の機嫌は最高潮に悪くなった。
トイレの電気、換気扇、洗面所の電気、お風呂場、玄関の電気がつけっぱなしだったからだ。
電気も消されないぐらい眠いんだったら真夜中に送りに行くなっつーの。
大体、起こして欲しいって伝えたいのは分かるが、それならメモでも書いておけばいいのだ。
寝ているところを起こされれば誰だって機嫌が悪くなるのは当然だ。
どうしてそういうちょっとした気配りができないのか…。
昨日の夜までは頗る上機嫌だったのに、一気に気分が悪くなった。
で、学科に向かう前にダンナを律儀に起こして向かった。
流石に今日の学科は眠かった。

学科が終わってそのままバスを乗り継いで、従姉妹と合流して久々にパチンコをしに行った。
どうしてもDEN DENがず〜っと前からやりたかったから(爆)
1時半から打ち始め、当たり台だったので、延々17時半頃まで打ちまくった。
がその頃から嵌まり始めたので結局勝ち逃げすることにした(爆)
夕方17時前にKへー君とKみちゃんが、私を見にやってきていた(爆)
全く最初気づかなかった(爆)黙々と台に向かって打ちまくっていたからだろう。
久々に僅か1500円でが〜んと勝った。
いくら勝ったかは内緒?
従姉妹は何故か私と一緒だと負けるから一緒に来たくないってぼやいていた(爆)
でも今月、彼女は勝ちまくっていたから、たまにはいいぢゃん(爆)
で、そのままKへーくんとKみちゃんと一緒に帰って、今夜はご飯を一緒することになった。
久々に近所にある焼鳥屋に行くことにした。
だからダンナに連絡をしたが、結局今日も仕事が切りあがれないとのことだった。
23時頃まで粘っていたが、ダンナは終電じゃないと帰れない、と云ってきたので諦め、ちょっと買い物をしてKみちゃんの家でダンナの帰宅を待って
みんなで少し呑もうってことになったのだが、結局、ダンナは会社のメンバーから呑みの誘いがあって迷っている、と電話で云ってきた。
行きたいんだったら行けばいいじゃん。
私はそう思った。ダンナも行きたがっているのは何となく分かったので、そう云って電話は切った。
ずっと待っていてくれた彼らには申し訳なくて、謝って帰ってきた。
今度からはダンナは待たずに飲み会をしよう、と帰りにKみちゃんに送って貰う時に話した。
そっちの方がお互いいいだろうってことでね。
全くタイミングが悪いってこういうことを云うのだ、と納得した一日だった。

土曜は夕方1時間だけ技能だ。
通常、ダンナが土・日は休みなので教習所には行かないようスケジュールを組んで貰っているのだがそうも云ってられないし、予定があるわけではないので、教習所で土曜にスケジュールを入れて貰った。
いよいよ第一の難関? である坂道発進だ。
ちゃんと出来るかかなり心配。
そしてその後は最大の難関、S字。
今回はちょっと試練かもしれないなぁ…ふぅ。頑張らねば。

2:09 カテゴリー:82's, Car's Diary | コメント(0) »

デジアシ

2000年 6月12日

82家、財形ピーンチッ状態(爆)
給料日まであと僅か。頑張らねば、と思っていた矢先、漫画家の友人Sバタから、今まで働いたアシ代が振り込まれていた。それも想像以上に多い金額だ。
も〜っすっげー有り難い(;_;) ありがとーSバタ。
「日給5000円支払うよ」と云ってくれた時でさえ、相当嬉しかったのに、金額が違うのでメールを送ったら「時給700円ぐらいで計算したの」と返事が。
気持ちだけでも充分なのに、本当、有り難う。
私の仕事なんて、他のアシさんに比べたら大した仕事ではないのに、と思う。
睡眠だってちゃんと取れるし(第一私は通いなので、Sバタ邸で徹夜することは先ずない)締め切りとの戦いもあまり関係ない(爆)
前にも書き込みをしたが、私の仕事は麻雀牌を歪ませること。
だから、先に歪ませる雛形を作って貰って、それに合わせてPhotoshopで加工して、プリントするのが私の仕事なのだが、私がギリギリだと、最終的に原稿に貼り込んだりする時間や、実際、原稿に合わせて、もしサイズや形が合っていなかったら、ギリギリだと大変なことになるので、いつも他のアシさんよりも先に仕事が始まって、誰よりも早く仕事が終わっている状態だ。
元々は友だちだし、私の手が必要、と彼女が云ってくれただけで、私にとっては充分だった。
こんな私でもちょっとでも役に立てることがあるのね(^-^) と思うぐらいで、益してアシ代まで払ってくれるなんて、何て美味しいのだ! と思うほどだ。

今月発売した近代麻雀オリジナルで、一応、彼女の作品は終わったのだが、「学生雀士加納シリーズ」(←これバカウケ。活字で書かれると凄いインパクト(爆))はひと月置いて、再び登場する。
今回3ヶ月連載して、正に今号が一番美味しい話になっているのだが、残念なことに私は麻雀が殆ど分からない状態。きっと今回の加納の勝ち方なんぞ、麻雀を知っている人間が読んだらゾクゾクするぐらい面白い上がり方をしているのだろうなぁ…とは思うのだが、私にはさっぱり分からない。それがかなり残念だ(爆)
私は頗る加納ファンなので、アシに行くと「目で殺す加納」が沢山あって、どきどきする(爆)
私の加納像をSバタに話すとバカウケしていた(爆)が、そういうファンが思っている反応が、書き手にとってはとても興味があるらしく、ふんふん、と聞いてくれていることが多い。

流石に4回もすれば、牌の変形にも相当慣れてきているものの、今回は兎に角、数が多くてちょっと大変ではあった。その上、彼女の家のiMacちゃんが終盤、調子が悪くて直ぐに固まっちゃったりしていたので、結構ヒヤヒヤしやがら作業をしていたものだ。
前はちょっと漫画を描いていたくせに、今では確りパンピーになっちゃっているので、修正も出来ないぐらい腕が落ちた(爆)
他のアシさんの作業は凄いなぁと関心するが、今の私ではそういう作業は出来ないので、その分、Macで恩返しだ。今回、背景の加工もちょっとだけやった。
これはMac様々だ。スクリントーンではなかなか表現できない微妙なニュアンスも、Photoshopで簡単に出来てしまう。有り難い世の中だ。
でも、実際、出来上がりがこんなんで、と云うのは分かるが、それをどうやったら出来るのかが最初、分からなくて、ありりに電話して助け船を出して貰った(爆)
お陰で、難なくそれもクリア出来たが、お気に入りだった「王将」の部分が、吹き出しで潰れてしまったのがちょっとガックリだった(爆)
そんな微妙なところに嵌まりながら、ワイワイと仕事をしている。
毎回楽しい仕事場で、楽しく仕事が出来るのは、凄くシアワセなことだなぁって実感した。

さてさて、今度は7月終わり。
Sバタは現在次のネームで大変らしい。
仕事をするとむずむずする。やっぱり仕事っていいなぁ。

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こまったちゃん その2

2000年 6月12日

日曜はだらだら過ごして終わった。
何もする予定が無かったし、土曜が早朝起床だったから、凄く眠くて、明け方に寝たし、14時とかその辺に起きよう、って感じだった。
で、実際起きたのは15時を廻っていたが(爆)14時前ぐらいから、ヘリコプターが煩くて寝付けなかった。
家の辺りをぐるぐる飛んでいる感じだった。
何か事件でもあったのか知らないが、煩いんだよっ!

起きる気になれない理由がもう一つ。
部屋が臭いからだ。これは凄く深刻な問題だ。
ようはコロが悪いのだが、まだ床にトイレをしちゃっているので、その臭いが溜まっている状態。
だからリビングは相当臭い。おまけに家はカウンターキッチンで、カウンターの下にコロのゲージを置いているので、台所に立つと臭いが直撃ではっきり云って、
あんなところでご飯作れって方が可笑しいぐらいに臭い。
リビングは快適だが、臭くて耐えられないので、ゲージの掃除をダンナがするまでは起きる気ゼロって感じだった。
でもダンナはいつまで経ってもゲージの掃除はしない。
どうもダンナは鼻が悪いのか、臭いが全く気にならないらしい。
臭い中で、平気で部下から借りているDVDを観ていた。
私には到底出来ない(爆)
大体、元々ダンナが飼っているアライグマなんだから、臭くなったら掃除をさっさとして欲しい。
友だちが来る時は、速攻掃除をするくせに、そういう予定でもない限りは、何度も何度も煩く云って、それでやっと重い腰を上げるのだ。
コロもここにきて、やっと盛りが終わろうとしているらしく、誰かがいると、ちゃんとトイレで用を済ませるようになってきてはいる。もうちょっとだ。
ほんとなら、週の真ん中辺りで一度ゲージを掃除すればいいんだろうけどね。
まぁ、コロがちゃんとトイレでしてくれれば、猫砂がある程度は臭いを吸収してくれるのでまだマシなんだけどね。何だか盛りが長くて私が一番酷い目に遭っている。
家にいる時間が一番長い分、一番臭い思いをしているのが私。
臭いと最後の方になるとイライラして爆発しそうになる。当然だけどね。
ダンナは会社にいる時間が長いから、臭いのが辛いとは思わないのだろうけど、いい加減耐えられなくなると、私はマシン部屋で殆どを過ごすことにしている。
でもここは北側の部屋なので暑いんだけど、暑いのと臭いのとではどっちがいいか。
もうお分かりだろう。
もう少し快適な暮らしができないのだろうか。
コロの盛りさえ終われば快適なのだが…。
お願いだから、さっさと盛りがおわってくれ〜っ(;_;)
頼むよ、コロスケ。

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七七日

2000年 6月11日

10日土曜は、父の七七日で、八王子にあるお寺(そこに家の墓もある)に早朝から行った。
7時半から駅前にあるレンタカーで三菱のギャラン(ナビ付き)を借りて、実家で母を拾い、途中、従姉妹を拾って八王子に出発したが、八王子なんて行かないもんだから、どういうルートで行くのが一番いいのか、良く分からなかった。
ナビは都心に出て中央道を行けと指示を出していたが、確か16号で行った方が近いと思ったので16号目がけて走った。16号は混むけど、でもそれが一番いいルートだと思ったので。
で、結局、ちょっと渋滞があったもののギリギリ間に合った。
私は初めて行くお寺だった。だからお墓も当然初めて観た。
お墓はかなり前に買って、周りだけ作ってあって石がない状態にしていたのだが、結局、父の兄弟で父が一番最初にお墓の中に入ることになってしまった…。
が、問題はここからだった。
到着して間もなく坊さんに会って挨拶をして、これからお経を唱えて貰うんだから、お願いしますって感じじゃん? それがもー最悪の七七日だったのだ。
坊さんが夫婦喧嘩したらしく、その所為で凄く機嫌が悪いのだ。
挙げ句、こっちに八つ当たりで屁理屈ばかりの説教をおっぱじめた。

はっきり云って、凄く気分が悪い。おまけに家では初めてのお葬式だったのだ。
だから当然、どういう準備とか段取りとかっていうことは全くと云っていい程分からないのだ。
それを知っているくせに「分からないのだったら聞けばいいでしょう」とか、今では確認すらできないことを分かっていて「私は電話でちゃんとそう申しました」とか、兎に角、母や私たちを集中攻撃だ。
仮に電話でそう云っていたのだったら、そういうことには確りしている家の母が見逃すはずがない。
その上、母は話をするのとか字を書くのが苦手な人だ。ハイテク関係も全く疎い。
そういう人だと分かっていて、母を集中的に攻撃してくる坊さんに呆れた私だった。
はっきり云って、あんな坊さんとこの先、一生付き合って行かなければならないなんてウンザリだ。
その上、新盆は実家に来るらしいのだ。
それで今日、私たちがクルマで行ったもんだから、どういうルートで来たか説明しろと云ってきた。
だが、クルマで行動して未だ2-3年と云う感じな私たちにとって、ほんの近所なら問題ないが、初めての八王子な上に、だからこそナビ付きのレンタカーを借りたのだから、ちゃんと話せる訳がないのに、それを云ったら云ったで、また説教が始まった。
このままここにいたら延々と屁理屈な説教が続くと思ったので、父には本当に申し訳ないとは思ったが、早々に退散したい気分でいっぱいだった。
母も流石に今回のことで、うんざりしていた。私も母も同じ気持ちだった。
自分で屁理屈ばかり云っているくせに「これは屁理屈でもなんでもない。常識を私は云っているのです」と云うのだ。凄い坊さんだよ、全く。例えば「タバコは吸うから身体に害なんだ。私は吸わずにふかしているから害にはならない」と屁理屈を云っているのだ。
それが屁理屈だっちゅーのっ。
大体、家の父が肺癌が元で他界しているって云うのに、タバコを吹かしているだとは、いい度胸している坊さんだな、とも思った。
吸わない人間にしてみれば、吸うも吹かすも害は一緒なのに、そういうことには自分から棚に上がっている坊さんだった。
その上、お寺が古くなったから、本堂を建て替えたいらしいのだが、檀家に募って欲しいってことになっているみたいで、母が云うには、家は30万出してくれって話らしいのだが、こんなんで何で30万も払わなければならないのか、全く納得いかない。
夫婦喧嘩はどうでも良いが、それで奥さんと口を利けないからって、こっちに当たるとは言語道断もいいところだ。大人げないとしか云いようがない。
大体、普通はお坊さんのお説教とはありがたいものだが、今回のは、はっきりいって全くありがたくもない話ばかりだった。
その上、30万なんか、何であんな坊さんのために払わなくちゃならないんだ。
いい年こいて、仕事ちゃんとしろよって感じだよ、全く。
最低な七七日だった。
本当、父が可哀想だよ。

で、戻ってきてからは今まで月一で家族で恒例になっていたお寿司の日を実行した。
最後に父と母とダンナと4人で行ったのが12月。
半年ぶりのお寿司屋だった。
あまりお腹が空いてなかったので、早々に退散だったが(爆)
もう父がいないんだなぁとしんみりしながらお寿司を食べて来た。

帰宅してTV観ているうちにうたた寝して、起きてダンナの部下であるKちゃんに借りたDVDのアルマゲドンを観た。
アルマゲドンのおまけ映像はAEROSMITHのプロモだったので、私にとってはとても美味しかった(爆)

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