恩師 逝く

2000年 6月21日

食後に風邪薬を飲んだら、昨日は全然平気だったのに、今は副作用なのかフラフラして手も震えちゃう。
何なんだろう。飲むタイミングが悪かったのかなぁ。それとも水が足りなかったのかしら…。

19日の夜も割と遅い時間に、中学時代の同級生から電話がかかってきた。
社会人になって、1-2度会ったぐらいだから、かなり久々に話をしたが、内容に驚いた。
中学時代、私は確か2年から高校受験の対策として、近所に在った塾に通っていた。
そこの塾長だった恩師の先生が、癌で亡くなった、という報告電話だった。
はっきりした年齢は覚えてないが、多分、私が中学の頃20代半ばから後半だったと思う。
だから40代前半で永眠したことになる。早すぎる死に唯々驚くばかりだった。
先生のところは子供が居ないらしく、奥さんはさぞかし落胆されていることだろう。
私も最近、父と云う身内を亡くしたので、奥さんの気持ちが少しは分かる、と思う。
一緒の塾に通っていた女の子一人から電話が入ったのだが、彼女ともう一人別の女の子は20日の通夜に参加するって話だった。残りもう一人の女の子は、現在松戸に住んでいて、その上子供が未だ小さいから欠席だとも聞いた。他にも一人の男の子は参加するって聞いた。
私は、教習所から夕方帰宅して、その後従姉妹と渋谷に出かける約束をしたので、通夜には参加出来ないことを告げ、かわりにお悔やみ電報を打った。

その先生は塾長で、数名の先生と塾を経営しつつ、自分でも自ら数学を教えていたのだが、当時の私らからみれば、凄く楽しく面白く、ちょとカッコイイお兄さん的存在だった。
だからなのかもしれないが、結構先生の死は衝撃的だった。
はっきりとは分からないが、先生はかなりの豪酒だったようで、多分肝臓癌ではないかねぇって話だったが、高校に入って、確か一度だけ結婚した先生の家に遊びに行った記憶がある。
それが先生とは最後の顔合わせだった。
いつからかは知らないけど、結構前に塾自体は畳んでしまったらしいが、先生の教え方はとても分かりやすかったことを今でも覚えている。
ご冥福を祈ります。

話は変わって、今日の教習は学科1時間、技能1時間。
学科は明日の1時間を受け終わった段階で、仮免前効果測定とかって云う学科の試験を受けなければならない。いよいよだ。ひっかけ問題に引っかからないようにしなくちゃ。
技能の方は、今日も引き続きクランクとS字の練習ばかりをやった。
坂道発進は大丈夫でしょうって教官に云われ、今回はやらなかったので、大丈夫か? アタシ…って思った。が、まぁ今後もまだ教習所内で坂道発進はするから問題ないでしょうって話だった。
土曜に乗ってきたのに、日・月と2日間も空いているので、最初はちょっと脱輪したりしちゃった。
でも何度かすれば、感覚を思い出して、最後には認め印を貰った。
今日の教官は女性で、何だか今のところ男女交互に指導して貰っているみたいだ。
しかし、そろそろちょっとペースアップした方がいいかもしれないので、近々からキャンセル待ちもしてみようかなぁってちょっと思っている。

1:33 カテゴリー:82's



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