2000年5月

徒然

2000年 5月17日

15日の月曜に総会で撮った写真の現像を出して上がってきた写真を見て吃驚した。
殆どが露出不足で暗い。なんでだろう…はてはて。
今回は全部ダンナが撮っていた。がカメラは2台持っていった。一台は私のCannon AE1 Progrum。
もう一台はダンナのパパの形見であるNicon F。
AE1はフルマニュアル、セミマニュアル、フルオート、とどれでも撮れるがFはフルマニュアルだ。
しかし、Webに載せる用に取材の時、ついでにFでプロのカメラマンに4枚撮って貰った写真だけは完璧だった(爆)やっぱりカメラって難しいねぇ。

昨日は従姉妹と渋谷に劇場版「アナザヘヴン」を見に行ってきた。
犯人は何だか…・うーんって感じ。
まぁああいう系の話はこういう終わり方しか出来ないよね…って感じの終わり方だった。
TV版とちょっとだけリンクしているのだが、話の筋自体は根本的には違ってきているので、TV版の終わり方がどんなもんなちょっと楽しみではある。
まぁ面白いっちゃあ面白いけどね。
しかし、R15指定だけあって、ちょっとグロかった。
脳みそを頭から出しちゃっている連続猟期殺人から始まるのだが、そのシーンがねぇ…。
その脳みそで料理していくんだもん、どんどん食べられなくなっちゃうメニューが増えるって話にもなっているんだけど、けっこうエグい描写だった(爆)
まぁ私は多分問題なく食べられると思うけどね(爆)
でも結構リアルで良く出来ているなぁ、特撮が。そう思いながら観てきた映画だった。
今度は今月末にまた従姉妹とジュリア・ロバーツが主演の映画を見に行く予定。
招待券を貰ったんだよね。楽しみだよ(^-^)

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The 4th Annual Meetingと鳥羽水族館

2000年 5月15日

13〜14日はダンナが所属しているクルマのクラブ『The GT-R Owners\’ Club』の
年に一度行われるThe 4th Annual Meeting(総会)だった。
11日の木曜、また風邪で熱があった私は早々に寝て、金曜はダンナも『準備休み』をし、この総会に備えていた。
今回の場所は三重県鈴鹿サーキット。集合が現地11時だったので、こっちを4時に出発。
だから金曜は会社を休んだわけ。
じゃなければ到底身体が持たないもんね。
で、頑張って11時過ぎにはベッドに入ったものの、実際いつも寝るのが3時とかなのではっきり云って全然寝られなかった。
ダンナは2時間ぐらい寝たみたいだが、私は『う〜ん、寝れない』をずーっと繰り返し起きる時間を迎えた。
でも幸いだったのが、前日に熱で早めに寝た上に、金曜はお昼まで寝ていたから結構調子が良くてね。
近所に住むKへー君しKみちゃんと一緒に向かうことにして、近くの道で走りながら合流ってことになっていたのだが、家が4時に出発をして彼らにメールを送ったら彼らは既に東名の乗り口付近だった(爆)
25分ぐらいで追いつき、他のクラブのメンバーと後に合流し、鈴鹿には順調に到着。
今回は90台ぐらい全国から集まった。
この時は前回に知り合ったクラブの人や最初の頃から仲良しになって、でも地方だからあまり会えない人などとの再会があるので、知った顔があると、歓喜の声があちこちから聞こえてくる。
毎年、この総会をするに当たって、スタッフが色々と大変な準備を踏まえて、いつも実行しているので、本当スタッフの人は大変だとつくづく思う。
因みにダンナは関東代表で、Webの管理とグッズでTシャツを担当している。
が実際、Tシャツを作るのは私で(爆)今回もこの総会のしおりの表紙のデザインをやらされた(爆)
でもそれも大変ではあるけど、楽しいことのひとつなのでね。

昼食後に今回鈴鹿で行われたスーパー耐久第3戦の予選を観戦した後、雑誌の取材が2本入っていて写真撮影をする。その後自分の車で鈴鹿サーキットを走行するという美味しい企画が付いていたのでサーキットへクルマで移動。鈴鹿を走るなんてことは滅多に出来ない。
しかも私は免許なしなので、到底サーキットを走ることなど出来ないのだが、今回はペースカーが先導して同乗オッケー、ノーヘル、ノーグローブでの走行だったので、ダンナの運転するマイRで鈴鹿サーキットを走行。
鈴鹿は良くF1でTVで観ているのでコースなどは大体は分かっていたけど、実際観るのと走るのとでは大違いで凄い感激した。
カーブも観ているよりもずっとキツイと思ったし、TVでは平坦に見えるコースも実は登りだったりするし…と走ってならではのことが分かって楽しかった。
本当だった走行中に写真も撮りたかったけど、走行はコース2周だし、ちゃんと撮れるのかも分からないから自分の目に焼き付けようと思った。
本来なら、その後に宿泊先で宴会、翌日解散なんだけど、何かとお金がかかるし、何分、今回って給料日前(15日が給料日)で金銭的にキツイので、サーキットを走った後に、みんなとは別れKへー君とKみちゃんと、ダンナが持っているリゾートマンション(今回は鳥羽)で安く宿泊して翌日帰ることにした。

日曜はKみちゃんと私が念願だった鳥羽水族館に行った。
もーオウムガイが凄くて、赤ちゃんとか卵とかいっぱいあって感激だったっす。
しかし、みんなとも一緒だったし、やっぱり日曜で混んでいてじっくりとオウムガイを観ることは出来なかったが、Kへー君がデジカメでオウムガイを撮ってくれたので、その画像が届いたらこの日記に載せるですよ。ふふふっ。
鳥羽水族館は2時間ぐらいで堪能して、そこからは伊良湖まで フェリーで行き、下道でひたすら浜松まで走り、浜松から東名に乗って帰ることに。
浜松ICまでが結構混んでいて、乗って一つ目のパーキングで、クラブの一部のコアメンバーと合流し、一緒に帰ってきた。
途中、17キロの渋滞があって、渋滞に嵌まり始めた頃に、オーテックバージョンのGT-Rパトカーが路肩を凄い勢いで走っていった。
『神奈川県警にもGT-Rパトカーがあるんだー』とちょっと感激。
海老名SAで食事を終え、その頃には渋滞も解消。
それから各々解散して帰宅。
三重は昨日も午後からは晴れて、結構日焼けもするぐらい熱かったし、今日の鳥羽もいい天気だったけど、帰り途中の静岡の藤川からは結構強い雨で、家のクルマが履いてるタイヤはサーキット向きで雨には不向きなので、前輪がウィリー状態になったりして、ダンナはヒーヒーいいながら運転してた。

団体になるとどうしても待ち時間が多かったり、移動もテキパキとはいかないので、疲れちゃうけどでもたまにこうやって同じクルマを愛する人たちとの交流ってのも楽しいし面白い。
1年ぶりに合う人は彼女が出来たり、結婚したり子供が生まれたり…とまた新しい出会いもあるしこの年で新しい出会いがあるのは早々ないので、恵まれているなぁって改めて実感。

兎に角、今回の総会では中部地区のみなさんの努力と協力があって無事終えられたので、今日はゆっくり休んでくださいねー。

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お裾分け

2000年 5月11日

さっきまでKへーくんとKみちゃんが家に来ていた。
今回は、トマトとメロンを持ってきてくれたのだ。いつもいつもありがとー(^-^)
私は解禁になったので、自転車で昨日はずっと実家に行っていた。
父の関係ので手続きの嵐で、私もその関係で呼ばれたのだ。
最近彼らとは良く会うし良く遊ぶ。
ご近所に親しい人がいるととても楽しいよね。ふふふっ。

最近、昼ドラに嵌まっている。
「あっとほーむ」というドラマだ。たまたま従姉妹が家に遊びに来て、その時「このドラマは見ているからここで見てもいい?」ってことになって、一緒になって見ていたらついつい続きが気になっちゃって、それからずっと見ている。
何だか下らないと云えばそれまでなんだが、どうも後を引いちゃって(爆)ついつい見ちゃっている。
実際、面白いしね。
昔の自分は、結婚したって仕事バリバリしちゃって、普通の主婦みたいなワイドショーとか昼ドラなどには無縁の生活を送るだろうって思っていた時期があったが、現実の私は、正に典型的な主婦になっている(爆)
唯、ちょっと違うのは、さほど老け込んではいないと思うんだけど、いつぞやだったか前の会社に顔を出した時、上司Oさんに「そんな生活していると老け込むぞっ」と云われたことがあった。
危ないから頑張って老け込まないようにしなくっちゃ。
でも昼間ってついついTV付けちゃうんだよね(爆)

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タケノコ

2000年 5月9日

前日のメールを書き上げた後、例のキッズステーションという、22時から始まるアニメばっかりのケーブル番組で、エヴァをやっていた。
たまたまTVを付けた時はすでに劇場版の終わりの方で、しかも前回見た時の尻切れトンボで終わった辺りだった。
やっぱりそこで終わったのだが、前回と違ったのは最後に『つづく』が出たこと。
その後、その続きが放映された。第26話として。
どうも劇場版のビデオを発売する時に最後の書き下ろしをしたらしく、これで納得って感じだった。
結局、最後まで観れたのは、劇場が公開されてから2年も後だ(爆)
まぁいいんだけどね。あの作品はそれなりに面白かったなぁって思った。

で、日曜のに夕方に(´▽`)がタケノコをママチャリで駒沢大学から取りに来てくれた(^-^)
前のボロ屋にも(´▽`)は来ていたので、今回、初のマンションにとっても感激と驚きを示していた。特に、庭をとても気に入ったようで(爆)
「BBQをする時は絶対に声をかけてね。そしてオレはここの庭の芝刈りをするし」
と云っていた(爆)頼もしいっす(´▽`)
私の友だち、おかん、従姉妹など兎に角タケノコをお裾分けしたところは一斉にどこもタケノコご飯を作っているので、何だかちょっと可笑しい(爆)
そう云えば、どこからも云われるけれど、おばあちゃんちのタケノコは大きいけど柔らかくて美味しいって大評判だ。
事実、実際タケノコって頭が出るか出ないかってところを掘るけど、おばあちゃんのところでは下手すりや地面から20〜30センチ出ているものを掘っている。
だからひとつひとつが大きいんだけど、美味しいから不思議だ。
しかもどんどん掘らないと(竹林は台所のすぐ裏手にあるので)台所の方にまでタケノコが進出してくるのでキケンなのだ。その内台所を突き破るんじゃないかってちょっとヒヤヒヤしているらしい。だから掘っても掘っても出てくるから、大きくなりつつあるものからどんどん掘っていく。でも美味しいから嬉しい。
そう云えば、ダンナは珍味系が好きではないのだが、私は大好きなので、おばあちゃんの家で食べれる珍味系はちょっと期待している。
この前は初めてワラビのお刺身を食べた。普通ワラビもタケノコと一緒で灰汁が強いから一度灰汁抜きするのに茹でるけど、取れたては新鮮で灰汁も弱いから、そのまま生で食べられるのだ。
初めて食べたけど、とっても柔らかくて甘みがあって美味しかった。
因みにタケノコのお刺身も久々に食べた。今回はごまだれのドレッシングだけをかけて食べたけどこれって結構旨い。驚きだ。
お正月に行った時は生の福寿草におかかをふりかけたものも食べたし、この前行った時はのびるというらっきょうみたいな山菜? も食べた。
こごみやたらの芽の天ぷらも美味しい。おばあちゃんちは自然の宝庫だ(^-^)
だけどダンナはそういうのが、好みではないらしい。
私はのんべえだった父の血を引いているので、そういう自然系の珍味は大好物だ(爆)
だからおばあちゃんは、そういう私の好みをちゃんと分かってくれているので、遊びに行くといつもそういう料理でもてなしてくれる。
それが凄く嬉しい(^-^)
菜の花の辛子和えも大好物だが、ダンナは食べないので家の食卓には上がらなくなった。
だからそういうものは実家で食べるようにしている。

そう云えば、日曜昼に起きた時、左目が潰れていて驚いた。
目脂と涙で睫毛がガビガビに固まって瞼が開かなくなっていた。
こんなことは初めてだったので吃驚したが、月曜に眼科に行こうと思っていたのだ。
が、(´▽`)が来ていた時は全然元気だったのに、夜から急に調子が悪くなって食欲も減退。
間接や節々が痛いなぁって思いつつ熱を計ったら、8度。
薬を飲んで早めに寝てしまった。
で、月曜、朝起きても節々が痛いなぁ、イヤな予感するなぁって思いつつ熱を計ったら9度近く。
頓服飲んで昼まで寝てた。で、目は左目が酷かったのに右目も侵されていた。
夕方、熱が下がったので眼科に行ったら、感染性結膜炎と診断された。
何から感染したのかちょっと疑惑。
熱の方はリンパが腫れていたので、それで出た模様。
まぁ所謂風邪だ(爆)
まぁ父のこともあって気が緩んだからどっときそうだなぁとは思っていたんだけどね。
しかしこんなに目脂って出るもんなんだって自分でも感心しながら驚いているっす(爆)

数時間前にあやから近代麻雀オリジナルの広告が出ていたってメールが来た。
そうだ、すっかり発売日だったことを忘れていた。
この日記を書く前にコンビニに行って買ってきた。
アシをしている時はページもバラバラで貰って麻雀牌を歪ませているので、実際ストーリーがどんな流れになっているのかさっぱり分かっていない。
だから発売されるまでどんな展開になっているのかも知らないから結構発売日が楽しみだ。
その上、一般市民と違うのは、そういう裏方も私は知っている訳で、でも実際のストーリーは知らない状態なので、普通の読者よりも2倍美味しい思いをしているのかもしれない。
それはちょっとほくそ笑んでいたりする(爆)
それはアシをしている特権だな(爆)

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ご近所付き合い

2000年 5月7日

昨日の夕方、約10ヶ月ぶりぐらいに自転車に乗った。
近所に夕飯のおかずを買いにスーパーまで行っただけだが、昨夏から妊娠中、流産後とずっと自転車に乗れなかったので、実に久々だった。
自転車そのものには当然だが乗れるが、産婦人科の先生に自転車は子宮に直接振動が届いてしまうので春になるまで自転車禁止令が出されていたからだ。
尤も家の場合、クルマもカリカリなので、振動はクルマも酷いとは思うのだが(^_^;)
まぁ砂利道は避けてね、と云われていた程度だったから、大丈夫なんだけどね。

そう云えば、一昨日タケノコをお隣さんにお裾分けに行った時、判明したことが。
隣の奥さんは前から私のことを「82さんは若いから、若いから」とずーっと連発していたのだが事実同い年だと分かった。そうじゃないかと思っていたんだよね。
私って、周りが良く云っているんだけど、年相応には見られないらしく、多分私はお隣の奥さんは私より下手すりゃ年下じゃないか? と思っていたから(爆)
私は早生まれなので、実際年は1歳下になるが、学年は一緒で、奥さんはとても驚いていた(爆)
お隣はiMacを持っているとのことで、暫く立ち話をして、色々と分かったこともあって楽しいひとときだった。因みに隣のAさん宅には小学校一年生の娘が一人。
今度、娘さんが学校に行っている間に、奥さんにMacのことを教える、と云う約束をした。
ちょっと楽しみだ。

マンションを購入して、マンション内でまだ親しくしている人が少ないから、こういう新しい出会いは楽しい。それと、親しくなると、お互いの部屋を行き来することもあるので、他の人たちは、家の中をどういう感じで整理したり、インテリアにどんな思考を凝らしていたりするのかそういうのにとても興味がある。
実際、隣のAさん宅と家とは、全く作りが左右逆になっている以外、間取りや広さも変わらないのでどんな具合か、拝見するのが楽しみだ。
マンションと云っても、色々な部屋の構造の違いがあるので、個人的には「お宅拝見イベント」みたいなことをやってくれたら、色々と参考になるのになぁ…って思っている。
まぁ、いくらマンション内に住んでいたとしたって、全室の人と親しくなることって結構難しいと思うしそういうイベントがあるといいのに…とちょっと考えちゃったりもした。
実際、考えても何もならないんだけどね(爆)

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告別式 徒然

2000年 5月6日

4日に日記を更新したはずが、何だか更新されてなかった。まっしょうがないか。
父の葬儀も滞りなく終了して、やっとホッと出来た感じだ。
2日の告別式が終わった後、私は今までの疲れがでたのか9時半には寝入ってしまい、3日は1日ボ〜ッと過ごすことにした。
ここ数日の記憶がかなり曖昧になっていて、自分でもはっきり思い出せなくなっている。
こういうのは無理に思い出すのは良くないので、敢えて自分でもふれないようにした。

4日はお昼ぐらいからダンナのおばあちゃんの家に遊びに行った。
久々だったし、丁度タケノコのシーズンで、おばあちゃんの家の裏庭の一部が竹林になっていて、タケノコがわんさか出ていた。一生懸命にダンナが掘り返して、近所に配ったりするのとか、自分たちが食べる分とかを本数を数えながら掘り起こして行く。
本当だったら、1泊するはずだったんだけど、翌日ママは出かける予定が入っているし、やっぱりGWだし渋滞が心配だったし、お泊まりセットを持っていったけど結局、その日の夜中に帰ることにした。
どっさりとタケノコを持参して帰宅。途中関越の出口付近で4キロの渋滞に嵌まり、その後、環八でも渋滞に嵌まり、帰宅したのは2時半頃だった。
私は、何だかまたもや疲れていて結局、そのまま速攻寝てしまった。
昨日はタケノコを実家や近所のKちゃんのところに持っていくはずで、ダンナにクルマを出して貰うことになっていたのが、何故だかちょっとしたことでダンナの機嫌が悪く、私も頭に来たので結局、重たいタケノコを5本も6本も持って、まずは30分もかけて実家まで徒歩で行き、実家に着いたら既に手がバカになっていた(爆)情けないけど、ビニール袋じゃ食い込んで痛いのはしょうがない。
母は近所に買い物に行っていたらしく、父にお線香をあげて一緒にビールを飲んでいたら母が帰宅。
それからここ数日で母の所は電話が鳴りっぱなしだったことなどを聞いて、ぼちぼちKちゃんの所に出かけようとしていたら、母も駅まで一緒に行く、と云うので一緒に出た。
駅に着く前にダンナから電話が入って、自分の高専時代の友だちから呑みの誘いがあったとのこと。
結局、金もないが久々だし行くことにした。
取り敢えず母とは駅前で別れて、私はタケノコを持って電車で一駅乗ってKちゃんのところにタケノコを届けて、暫くしてダンナと合流し、渋谷でみんなと呑むことになった。
今回は何だか殆ど食べずして呑んだので、帰宅する頃には気持ち悪くて、帰ったら胃薬を飲んで速攻寝た。
何だかふしだらな生活を送っている。
休みが多いと、自分のことができなくなっちゃうので、いい加減飽きてもくるし、良くないなぁって実感した。
今日もここのところ堪っていたドラマの録画をずっと観ていたら、ダンナの機嫌がまたもや悪くなりダンナはふて寝している…。
構ってあげなかったので怒っているのだろう。お腹が空いていたって云ってたし。
まぁ私も悪いのでお互い様だけどね。

しかし月曜から普段の生活に戻るのに、今までの私だったら病院に行く『私の仕事』があったけどこれからはそれがなくなってしまう。
これからの日々、毎日何をして過ごせばいいのだろうか。
ダンナは帰宅が毎日夜中だし、帰ってきてもご飯を食べて寝る生活。
下手をすれば帰ってこない日もあるし、殆ど一人暮らしと換わらない。
一人の時間が長い分、それをどうやって補っていくのかが、これからの私の課題のような気がした。
当面はボ〜ッと過ごしてみようと思っている。
父のことを思い出したりしながら、毎日庭にあるプランターに水を撒いて…そんな感じだろうか。
時間は余っているのでゆっくり考えようと思う。

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父 逝く

2000年 5月1日

29日、日記を書き終えた後、終電でダンナが帰宅。それが1時半頃だった。
洗濯をしていたので、お風呂に先に入ってから干すか悩み、シワが増えるから先に干し始めたのが2時過ぎ。丁度その時、TVから伊達公子が小学生にテニスのことを教えている番組が流れていた。
洗濯物を干し終えたのが、恐らく2時20分頃。
さ〜てお風呂に入って寝ようかな、って思っていた時、電話が鳴った。
イヤな予感がした。
案の定、母からの電話だった。
入院している病院からの電話が入ったとのこと。
ダンナが帰ってきていて良かった。クルマで実家の母を拾って病院に着いたのが3時7分。
2人部屋のもう一人はどこかの部屋に移されていた。
父はずっと眠っている。
看護婦の話だと、ちゃんと心臓が機能していないからキケンな状態だと云うことだ。
血圧は問題ないのだが、心拍が1分間に28回とかになっている。通常の人は80〜90ぐらいなのに。
その上、呼吸も1分間に5〜6回になっているのだ。通常だったら20回ぐらいあるのに。
病院の公衆電話で、父の兄に電話した。それが3時半頃。
それからずっと病室で母と私とダンナと、うとうとしながらも父を見守っていた。
4時半頃、叔父が来た。父はずっと眠ったままだ。
結局、私とダンナは一睡もしていないし、取り敢えず朝までは大丈夫そうだから、と云うことで一度家に戻ることにした。それが5時半。
帰る前に、父の顔をみたら、うっすら目を開けていたが、話しかけても大きな反応はなかった。
もう喋られなくなっているし、相づちも父には大変な運動だ。
でも多分分かっていたのかな? って思う。
それが父と顔を合わせた最期になってしまった。

家に帰って、私はお風呂に入って寝たのが7時前。
母は、家に帰っても眠れないだろうから、と云って、一端家には戻ったが、朝ご飯を食べたり色々と準備をしたりして、また病院に向かった。多分7時半頃には病院にいたはずだ。
8時半頃に電話が鳴った。が、私は全く気づかなかった。疲れていたみたいで、電話の音が全く聞こえなかった。珍しく、ダンナが音に気づき、私を起こした。
リビングにあるピッチが鳴っているはずだ、と思い走った。
電話を取ったら母だった。

8時25分に父は永眠した。
母の話によれば、臨終の時も母は傍にいたけど全く分からなかったらしい。
突然、看護婦が病室に来て父を調べたりして初めて分かった、と母は云っていた。
その時私は、全くと云っていい程気丈だった。
反対にダンナが大声を上げて泣き崩れたのが印象的だった。
ダンナに向かって「泣くなっ!」と叫びながらテキパキと準備をして9時前には病院に入った。
父は未だ暖かかった。
気を済ませたくないので、泣くまいと固く誓ったけど、やっぱり涙は止まらなかった。
それから葬儀屋の手配とか、親戚に電話とか葬儀会場での打ち合わせとか、大変だった。
結局葬儀会場などの問題で、5月1日に通夜。2日に告別式をすることになった。
5月2日は父と母の35回目の結婚記念日だ。

4ヶ月間ずっと闘病生活を送っていた。
暮れに左手が麻痺して観念した父は病院に行き、年明けに精密検査をして、肺癌だと判明。
しかし脳に転移していて余命半年と告知された。
それからずっと父の病院生活は始まり、私と母は病院に通う日々だった。
不幸中の幸いだったのが、脳に出来た癌の場所が神経を麻痺させていたので、本人は全く痛みを感じていなかったことだ。
それだけは良かったと本当に思う。
ずっと父の闘病生活を日記に記していたが、それもノート1冊で終わってしまった。
今はきっと自分のやりたいことをしているのかな?
ゆっくりと休んで欲しい。


家に居ても落ち込みそうだし、一昨日の夜は近所にいるKへー君とkちゃんとダンナの4人で外食し、今日はKへー君の車をいじっている間、私とkちゃんは新しく出来たセンター北のモザイクモール気晴らしに行ってきた。
今度はもっとゆっくりと遊びに行こうね、kちゃん。

今日はどうやら雨の葬儀になりそうだ。

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