出産から退院まで その2

2008年 11月8日

11月2日。
朝。
ダンナが帰った後、寝入るが、疲れているはずなのに、全く寝られず。
腰が痛いのか、子宮収縮で痛いのか良く分からず。
傷口が兎に角痛いので、痛み止めを出して貰うことにした。

朝ご飯が8時に来たのだが、その前にトイレに行きたかったので、助産師に手伝って貰って向かおうとしたのだが、酷い立ちくらみと目眩で動くことが出来ず。
おまけに一気に吐き気まで出てきたので、食事もトイレも断念し、横になる。

だがやっぱり寝られず。

少しでも何か口にしてからの方が痛み止めを飲んだ方がいいので、朝食に出ていた畳鰯をおせんべいのように少しずつ食べながら、煎れて貰ったお茶を飲んで、ずっと横になっていた。

気持ち悪いのが収まってきたので、10時過ぎに何とか起き上がり、朝食を摂る。
何とか食べられたが、12時には昼食がやってくるので、そこそこな量だけ食べた方がいいかも…と云われた。

産後直ぐの時は、分娩室で「お腹が空いた〜」と散々云っていたし、現にお腹は空いていたのだが、気持ち悪いのもあったりして、食べられなかったが、やっと食べられるように…。
これで、満腹に作用されて寝られるか? と思ったが、やはり寝られず。

アドレナリンが出ているのか?(爆)全く眠くなくなってしまった。

朝食が食べられたので、赤ちゃんを部屋に連れてきた助産師から、母乳を左右5分ずつ取り敢えずあげてみて、とあげてみる。
ちゃんと口に含めば飲んでいたので、Rayの時より吸い付きはいいのかも…と思った。

12時に昼食。
流石に朝食を食べて1時間半しか経っていないので、完食は無理だな…と思っていたのに、何とか食ってしまった(爆)

その後は寝られるか? と思ったが、午後にはダンナがRayを連れて面会に来たので、暫くは喋ったりデジカメったり。

その間、ダンナがずっと抱いていたが1時間近くずっと寝ていた。

帰り間際に入れ替えでオカンがやってきて17時前まで色々と話をしたり赤ちゃんを見たり。

その後、再びダンナに連絡を入れ、駅前に出てきて貰って、オカンと一緒に夕食を食べに行った。

17時に夕食。
立ちくらみや目眩もやっと収まった。

食事後、助産師のKさんが夜勤でやってきて、今日は私一人だけだから…ってことで、食事の後、ちょっと横になった方がいいわよ、と云われたので、ちびまるこちゃんを見ながら横になっていたら、サザエさんからの記憶がない。

気が付いたら21時半を回っていた。

やっと短時間だが爆睡が出来た。

検温にやってきたKさんとその後、24時前までお喋り。

育児のこととか、躾けのことなど、誰も居ないし気兼ねなく話せた(爆)

その後、眠くなかったのだが、横になっていたら寝入ったようだ。

3:16 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

出産から退院まで その1

2008年 11月7日

11月1日。

10時過ぎに病院に入る。
バスがタイミング良く乗れたものの、超満員で立ったまま駅前まで…(苦笑)
そこから徒歩で病院まで来た。

産道は大分柔らかくなってきているものの、まだ陣痛の間隔は短くない状態。

ノンストレステストを受けてお腹の張り具合と胎児の心拍を確認したりして、胎盤の元気度などを確認したものの、至って元気。

先生的には、まだ促進剤を使ってどうこう…と云う母体や胎児に対する危険度がないため、自然に陣痛が来れば…と考えているみたいで、一先ず、ダンナが里帰りMTG(AUTECHオーナーの為のMTGのイベントが本日、大磯ロングビーチで行われているのだ)から帰ってくる夕方まで、病院で入院することに。

昼食。

病院に居てもすることもないだろうし、家に帰って色々と動いた方がいい…って話だが、タクシーは3連休の関係で呼んでも30分近くかかるって云われたし(電話して確認してみた)陣痛や破水が来て、バスに乗って来るにしても、10分、15分では病院まで来られない。

と云うことで、ダンナが帰ってくる夕方までに産気づいたらそのまま入院だが、まだ時間がかかりそうって状態だったら一端、帰ることになりそうだ。

でも、今までよりは頻度が高めでお腹の張りは出てきてはいる。


もう、病院は完全に私一人の貸切状態(爆)

先生も看護士も助産師も、家の家族もみんなヤキモキして出てくるのを待っている状態だ(苦笑)


**********

夕方まで陣痛らしい間隔が大体20分前後。
まだまだ定まった感じではなく、産道は柔らかくなってきているものの、子宮口は2cm程度しか開いておらず。

夕方になってダンナとRayが病院に立ち寄った時、一端一緒に帰って、間隔が15分で定まったら再び病院に入ればいいから…と先生に云われたが、荷物の一部を纏めて、着替えて移動した所で、ある一定の間隔で陣痛は来ているし、それで家に帰った所で、何も出来ないだけでなく、nismoが居るからゆっくりもあまり出来ないだろう…。
それに間隔が定まったらまた病院まで移動しなければならないのも、面倒(と云うのと大変そう)と思ったので、結局、そのまま病院に残ることにした。

17時に夕食(はやっ)有頭エビのフライだったため、Rayが凄く食べたがっていたのだが、その後何も食べられないため、自分が食べるようだからと説得(笑)

ダンナとRayが帰宅後、夕食を食べTVを見ていたら、15分間隔で陣痛が来るように…。

来ない時は大丈夫なんだが、来ている時は結構悶絶。

家に帰っていたとしても、直ぐにこの間隔になっていたし、家に戻った所で、悶絶していた訳だし、何も出来ない上、nismoにちょっかいだされたりしていたゆっくりも出来なかっただろうから、病院に残って大正解だったかも。

その後、23時台には頻繁に陣痛が来るようになり、暫くは自分で頑張って、お尻の上辺りを拳で叩いて何とか陣痛が来た時、息まないようにしていたが、1時半にはとうとう我慢出来ず、ナースコールを。
夜勤で入っていた助産師が、同じ名前のKさんで、とってもチャキチャキしていて話も合う感じだったので良かった。

Kさんに叩いて貰ったりしていたのだが、間隔がとうとう5分を切るようになり、分娩台の準備をしてくるから頑張って、と云われ頑張ろうとするものの、あれに我慢するって云うのはかなり無理が…(苦笑)

結局、再びナースコールをして、Kさんを呼び、陣痛が治まった時に手助けして貰いながら何とか分娩室へ移動。

もう息みたくて、出そうだしヒーヒー云っていたのだが、Kさんに退院を早めたいんだったら、出来るだけ息まず、縫わないようにすること、と云われていた。
だが、あの状況になると、もうどうでもいいや…的な気分になり(爆)

1時50分頃、分娩室に入って椅子に座って陣痛と闘っていたのだが、もう我慢出来ず。

Kさんが、先生に連絡を入れようとしたのだが、電話の呼び出し2コールで、私が次の陣痛の波が来て悶絶し息み始めてしまったため(爆)電話を切り慌ててこっちに戻ってお尻の辺りを抑えた。

もう無理〜と話して、分娩台に上がったのが2時。

待機していた先生も直ぐに来て、それから出来るだけ陣痛時呼吸で逃げるようにして、出来るだけ息まないように…って云われて、実際Rayの時も経験したし、頭では分かっているのだが、実際それを出来るかって云うと、出来ない!(爆)

結局、陣痛の波に我慢出来ず、息むことにして、髪の毛が見えてきたよ〜って云われてからが、もう息む、の繰り返しで、バチだか、ガキだかって音がしたと共に、結局避けた…(苦笑)

もうその時は避けて縫ってもいいや…って考えしか浮かばず。

早く出したい一心で(笑)

結局、分娩台に上がって18分で、11月2日、2時18分、3156gで男子を出産した。


今回は産まれた瞬間をカメラで抑えることも出来ず。
まぁ貴重品は持ってきていたので、ケータイで撮れば撮れたのだが、今のシャアケータイのカメラの質は悪いので、瞬間は撮らなかった。

たまたま、出産途中にダンナからメールが入っていたので、確認しつつ、電話を入れ産まれたことを報告。

数分後、病院に到着。
そのまま分娩室に入ってきても良かったのだが、ダンナ、血とかダメだから(爆)助産師が、ある程度その辺のものを片付けてから分娩室に入ってご対面。

元気に産まれてきたのだが、右耳が塞がったままの状態で産まれてきた。

左耳はちゃんと普通なので多分問題ないだろう…と云う話だった。

退院後、大きい病院で形成外科と耳鼻科で精密検査を受けるようになるって説明を受ける。

身内に同じ状況なのがいるので、それほどショックはなかった。

左耳だけでも聞こえていれば、生活に支障はないってことが分かっているので。

今の医療技術は発達しているので、綺麗に形成出来るだろう。

近眼は遺伝率が高いため、ダンナの亡くなった父も酷い近眼だったし、ダンナもかなり悪い。
Rayも何れメガネを使う可能性もある。
まぁ、生活環境で、目が悪くならないように確り見ていれば、ある程度は回避出来るって助産師には云われたけどね。

この子もメガネがかけられる状態には何れしなければならないだろうな…。

後産後、避けた部分を先生に縫合して貰って、局部麻酔を打って貰うのだが、前回よりは効いていたがやはり肛門傍は効かないから悶絶(爆)
それが終わってからダンナが分娩室に入れたので、ダンナは卒倒せずに済んで良かったよ(爆)


病院は完全私の貸切状態なため、先生も助産師も独占状態(笑)
謂わば、完全看護状態なセレブを堪能出来ている状況だ(爆)

他に入院者も出産した人も当然居ないので、部屋も個室の中では陽当たりのよい広い部屋を使っているし、看護室から一番近い所に居るし、個人の産院だからフレンドリーでアットホームだし、地元だし…ここの病院で良かった。

そんな具合で、院内でケータイを使ってもオッケーだし、一応、消灯時間は21時だが、その後もTVなど見ていてもオッケーだし、そういうフリーな点は有り難い。


貸切状態なため、子供の取り違えとか間違いなども起きる訳もないのだが(爆)一応儀式みたいな感じで、子供の足の裏か脛に名前を書くことになっているって云うので、ダンナが脛に大きくひらがなで名前を書いて笑っていた(笑)
「タトゥーみたいだなー」って(笑)

その後、2時間は分娩台で点滴を打ちつつ、経過を診るため残っていたのだが、その間もダンナは子供を抱いたり見たりしつつデジカメっていて過ごし、2時間経ったので部屋に戻ったが、前回同様立ちくらみが起きた。

前回は産んで後産が終わった後、気持ち悪くて直ぐに吐いたのだが、今回、それがなかったので大丈夫か? と思ったのだが、部屋に戻る前にトイレに立ち寄って行ったのだが、立ちくらみが酷い上、やっぱり気持ち悪くなって、トイレで吐いた。

ベッドで横になっていれば取り敢えず安定しているので、痛みと耐えながら、暫くダンナと話をしたりデジカメったりして、ダンナが病院を出たのが、5時半前。

その後、直ぐにブログに報告と画像をアップして寝たようだ。

19:44 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

退院しました

2008年 11月7日

6日午前中に退院した。

本当は病院側からは7日に…と云われていたのだが、Rayの学校のこともあるし、家の中がきっとえらいことになっているだろう…と云う心配など色々あったりしたので、体調など見て大丈夫そうだったら6日に退院を…とお願いをしていたのだが、無事退院出来ることが出来た。

だが、先天性の病気の検査は生後5〜6日に行うため、土曜に再び検査のため病院には行くことになっている。


さて、肝心の名前だが…

ダンナが結構前に候補に挙げていた名前があった。

家は漢字一文字で音読み…と云うのに拘ってRayの時も名前を付けたので、今回もそれに習って考えていた。

もうその名前で決まるものだと思い込んでいたのだが、ダンナが未だ完全にその名前に決めていた訳ではないようで、出産間際になって別の候補を挙げてきた。

結局、そのふたつの名前から決めよう…と云うことにはなったのだが、その候補の名前、Rayの「れ」に合わせたものと「い」に合わせたものとに分かれている。

最初に考えていた名前は「い」に合わせた方。

だが、Rayも私も間際になって候補に挙がってきた「れ」に合わせた漢字の方がいいのでは…と話していた。

でも、その漢字、かなり画数が多い。

我が家の苗字は比較的に画数が少ないので、苗字と名前のバランスがあまり良くない…と云うのと、小学校低学年頃までは、画数が多い名前だと、バランスも取りにくいし、巧く書けないのではないか…と云う考えが浮上。

それと、「れ」で合わせると、Rayを呼んでいるのか弟を呼んでいるのかの見分けが難しい時が出てくるかも…と云う理由などから、結局、最初に考えていた「い」に合わせた名前に決めた。


名前は



ケイ(kay)

に決めました。

これからどうぞよろしく(^-^)


退院した足で区役所に出生届を出しに行ったのだが、ダンナが微妙に漢字を書き間違えた状態で提出してしまい(爆)備考欄に訂正されていたって話…(苦笑)


そして、案の定想像していた通り、家の中はえらいことになっていた…(丶´,_ゝ`)

2:01 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(10) »

ありがとうございます

2008年 11月3日

コメントありがとうございます。
パソコン環境ではないので、個々にコメント返しが出来なくてすみません。

しかし、8年近く経つと全く忘れていたり、かなり前と違ったりして驚くことが多い。

今は授乳前に洗浄綿で綺麗に拭い去ったりしないんだって〜。

一箱も買っちゃったのに(爆)

0:41 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

産まれたー

2008年 11月2日

2日2時18分
3156g
男の子。

かなり元気。

分娩台に上がって20分で産まれたよ。
だけど、もう痛くて我慢出来ず、裂けちゃったため傷口が痛くて一睡も出来ず…(T_T)

立ちくらみが酷いから起き上がれない〜(・ω・`*)




8:58 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(11) »

入院します

2008年 11月1日

昨日の夕方から不定期に痛みがあるものの、陣痛が定期的に来ている状態ではないため、このまま入院して促進剤を使って産むことになりそうです。

準備して病院に向かいます。

と云うことで、暫くネット環境から離れます。

9:23 カテゴリー:82's | コメント(3) »

辛い…

2008年 10月31日

両脹ら脛が、半分ぐらい痙っている状態で、辛い…_| ̄|○

14:04 カテゴリー:82's | コメント(0) »

最後の追い込み

2008年 10月31日

いい加減、この連休中には産まれているはずなため、そろそろどこに何があるのか全く把握していないダンナや、そのアテにならないダンナの代わりにかなりアテにしている(爆)Rayのために色々とメモを残しておく必要がある。

で、あちこちポストイットやら、メモ書きを残しておかなければ…。

それと、Rayの衣替えは完了、ダンナのものが完了していないため、それも今日中にやっておかなければ…。

相変わらずバタバタです。

でも、そろそろ来そうかも…

かも…?(笑)

10:38 カテゴリー:82's | コメント(0) »

タイミングが悪い

2008年 10月30日

まだ産まれません(爆)

昨日の検診で予定日修正をされ(今更だよ…センセー)昨日か今日あたりが予定日だったかもねーなんて云われて、相変わらず陣痛が来ない状態。

昨日は検診後、夕方Rayと川沿いを40分ぐらい歩いて今朝はダンナと一緒に駅前まで出て必死で階段を上り下りして、往復で40分近く。

大分歩いている時に下腹部が張るようになってきているものの、まだ産まれる気配がないので、今日も夕方散歩に出かけ1時間近くnismoとふらふら川沿いをウォーキング。


実は、産まれないためダンナが異様にヤキモキしている。

それには理由がふたつあって、ひとつはホントに中々産まれないのでヤキモキしているだけなんだが、もうひとつは、実は明日の31日付けで今の会社を退社することになっているのだ。

で、次の会社はもう決まっているので、直ぐに新たな会社で働くことになっているのだが、保険証の問題が…。

今は社会保険なのだが、新しい所は何れ社会保険に加入すると云うことなんだけど、取り敢えず今の段階では国保に入らなければならない。

だが、タイミングが悪いことに、31日は金曜、その上、土曜から3連休で、週明けが4日の火曜になってしまう。

と云うことで、手元に保険証があるのが、30日の本日いっぱい。
31日に保険証を会社に返還しなければならず、手続きは週明けの4日からしか出来ないと云うことが判明。

分娩時の入院で、保険証は持っていかなければならないので、当初の予定日通りに産まれていれば、こんな心配をしなくても良かったのだが、中々産まれないため、保険証の切り替え時に出産がかかってしまう…と云うとんでもない事態に陥ってしまったのだ。

どうすればいいんだ…と朝からダンナとてんやわんや。

で、国保の手続きは4日にするものの、有効日自体は1日からだから、病院側にその旨伝えて手続きをしてください…と云うことだった。

役所に電話したり、HPで調べたり、病院に電話したり…ともうあちこちに電話をかけてかなり疲れた(苦笑)

だが、結果的には、今の保険証をそのまま使うことになった。

と云うのも月々の保険料を支払い続ければ、向こう2年間、継続手続きを踏めば社会保険証が使える…と云うことが分かり、だったらそのまま継続手続きして貰った方がいいだろう…と。

国保って高いんだもん…

ただ、以前も国保を使っていた時期があったのだが、ダンナが云うには、あの時は扶養の手続きをして貰っていなかったため、3人分の保険料を支払っていたから金額が高かった…と云うのだが、扶養に入ったとしても社保の方が安いと思うんだよねぇ…。

でも結局の所、一端は返還し、新たに継続手続きをして、社保の番号が変わってしまうので、どちらにしても手元に保険証がない状態で出産を迎えることになるのだが、まぁ仕方がない。


病院に事情を説明するため電話したのだが、助産師さんにも代わられ現状報告することに。

頑張って歩いていますけど、まだ陣痛が来ません…

と話をしたが、それなりに兆候は来ている…と判断された。

今日待って、もし来なかったら、明日9時に病院に入って、促進剤使ってもいいよ…と云う話にもなったのだが、ひとまず、明日まで様子を見てからどうするか判断することにした。

私は、実は促進剤の経験は既にあって(一卵性の双子を死産した際、胎児摘出時に使ったのだ)別段、自然に任せたいとかそういう拘りはないので、促進剤を使って分娩することに抵抗はないのだが、ダンナがリスクはないのか…と云う心配をしているようで…。

未だ産まれないのかよ〜

って散々文句を云っていた割には結構ダンナはチキンです(爆)

まぁ年齢が年齢だからねぇ…

リスクはRayを生んだ時よりも高いのは確かだけど…。

とにかく、五体満足で産まれてくれればいいよ…。

あともうちょっとだ、頑張れ、オレ。


朝、ダンナと一緒に駅前まで出たのだが、地元に慶應があり、その敷地内を通って山越えするのが一番の近道。
上り階段を必死で上り駅前に出たのだが、各局のTVカメラがわんさか。

今朝のニュースで、慶應の学生が大麻の売買で逮捕されたため、それで取材陣が来ていた…と云う状況。

学生を捕まえてはインタビューしていたよ(苦笑)

駅ビルには東急が入っているのだが、そこで長蛇の列が。
なんだろう…と思ったら10時開店と同時に整理券配布と看板が出ていて、そのための列だった。
開店待ちの列だと思って一緒に並んでいたのだが、その整理券、どうやら堂島ロールの限定発売のための整理券配布の列だった。

限定50名様だって。
でも、ラゾーナに行けば何時でも買えるので、その列からどいた。

買っても良かったんだけど、販売時間が11時半からって書かれていたので、そこまで待っているのはかったるい…と。

でも結局、その後ユニクロでRay用のダウンジャケットや長袖Tシャツで小さくなったものの補充として買い物をしていたらそれぐらいの時間になっちゃったんだけど(爆)

ダウンは青のが去年買ってあるのだが、去年までは幼稚園の制服だったからアウターが少なくとも問題なかったが、学校に通学するようになって、私服だと流石にダウン1着だけでは厳しい。

ってことで、ユニクロでゲット。

でも思った程厚手じゃないんだよなぁ…

エアテックだからだろうか…。

まぁその家また出るのかもしれないけど、下に着こめばいいか…(笑)

赤にするか黒にするか散々悩んで…(笑)
ランドセルだって赤がいいって散々ごねていたから赤にしようか…と思ったのだが、インナーで結構赤系を着たりするので、やはり合わせるのであれば黒の方だな…と結局、黒を買ってきた。

帰宅したRayにサイズ確認のため着させた時、赤か黒か悩んだことを話したら
「赤は流石に恥ずかしいから黒でいいよ」
とアッサリ云われた。

あんなにランドセルは赤がいいって云っていたくせに(爆)

好みも少しずつ変わってくるもんなんだなー。
(でも次にカートのレーシングスーツを新調する時は赤にしてくれってこの前頼んできていたけどw)

16:41 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(2) »

5級へ

2008年 10月29日

10月28日。
授業参観後の火曜のスイミング。

ダンナが自宅で仕事をしてくれたので、スイミングに少し顔出しをする…と行って貰った。

今週のスイミングは進級テスト週間だったので、Rayには
「今日、パパが見に行くって云っていたから、頑張って合格しなよ〜」
とハッパをかけていたのだが、Rayはそれに対して
「多分今日、合格すると思うよ」
と余裕綽々だった(爆)

ちょっと作業をしていたので、行きは普段通りスイミングバスに乗って行き、途中からダンナが見に行ったのだが、テストは合格し、5級へ進級した。
5級からはバタフライに入るので、今まで青帽子だったのが、今度は水色帽子になる。

ダンナが帰りがけに「水色帽子買って帰る?」と連絡をくれたので、買って帰ってきて貰った。

Rayが「バタフライは厭だなぁ…」と嘆いていた。

まぁ、バタフライをクリアしたら、スイミングは辞める予定だ。
それ以上続けると、今度は選手コースに入り、メドレーの練習になって、選手コースに進むと、レースや大会に借り出されることがメインとなる。
当然休日に行われるため、カートと被ってしまうし、そこまでスイミングは続けたくない…と本人も話していたし、バタフライまで泳げれば、学校の水泳の授業でも遅れることはないから安心だしね。

と云うことで、来年の夏ぐらいまでにはバタフライもクリア出来ちゃうかも???(笑)

22:11 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »
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