リバティー帰還

2002年 9月2日

日曜はお昼頃あやを新横浜まで送り、その後修理が終わったりばちーを取りに熊谷まで行った。
Kへー君が車を出して一緒に行ってくれることになっので、ありがたやと甘えて乗せていって貰うことに。
行きも順調で、多摩川沿いを走っていたら、多摩川で何人も泳いでいるのを見た。
前、ダンナが会社のメンバーとBBQをやった時、勢いで多摩川で泳いだら、放送がかかって怒られた、と云っていたのにね〜なんてみんなで話をしながら通り過ぎたのだが…。
その後、修理工場までは順調で、元通りになったりばちーを引き取り、上に乗せるキャリアを付けなければならないので、どこかで付けようと云うことになった。(付けないと、2ndシートも出せないのでRayも乗せられないし)
しかし、工具が足らず、結局、スーパーオートバックスまで行き、工具を貸して貰って取り付けることに。
そこでひと休憩し、現状ではノーマルホイールに新しいスタットレスを履かせているので、やはり新しいホイールとタイヤは買わないとダメだねってことで、ちょっと見てみたが欲しいと思うものがなく帰路へ。
しかし、行きは良かったのに帰りはやはり事故渋滞で、所沢で降りてそこから下道で帰ってきた。
帰り、また多摩川沿いを走ってたら、何だか高架下でパトカーが何台も止まっていて騒がしいし、片側が消防車やパトカーで塞がれているのだ。
なんだなんだ? と思ったら「大森水難救助隊」と書かれた消防車まで止まっていて、川の方では「オレンジ」(レスキューのことね)が十何人もワラワラと…
どうやら溺れた人を捜しているらしく、凄い大きな照明で水面を照らして捜索中だった。
まさか、行きの川を泳いで居た人かねぇってみんなで云っていたのだが、その後ニュースなどでもやっていなかったので、未だ何だったのかは分からない。

帰り際、デニーズでご飯を食べ帰宅。流石に疲れた。
でも当初、金曜夜にダンナが「このまま帰らず土曜昼まで仕事して、日曜は家に居るのと、金曜は終電で帰って日曜車を取ってから会社に出て日曜は帰らないのとどっちがいい?」電話してたのだが、渋滞が何時起こるか分からないし、先に仕事をしておいた方が後が楽だからと後者を選んだのだが正解だったよ。

しかし、車が戻ってきてダンナとちょっと感慨深げだったよ(爆)
良く治ってきたよね、流石プロは凄いねって。
大事に乗ろうって改めて思った。
でもこれでRも暫く乗ることもないな、とボソッと云ったダンナの言葉は少し淋しく感じた。
乗り慣れるとRもいいんだよね〜。
特に家の32のシートは自分の身体に凄くフィットするからとてもお気に入りなので、まぁちょくちょく乗ろうよ、とは思っているのだが、ダンナも私も「チャイルドシート付けるのがちょっと面倒だよね」と云っている辺りが笑える(爆)

17:08 カテゴリー:Car's Diary | コメント(0) »

名前の呼び方

2002年 9月2日

あやとダンナと3人で呑んでいた時、名前の呼び方の話題になった。
私は親しい人や近所でも良く付き合いのある人の間では「ダンナ」と呼んでいるが、そうでない場合は流石に「主人が」と呼んでいる。だが、あまり「主人」と云う言葉が好きでないので基本は「ダンナ」だ。
ダンナは会社などで私のことを「かみさん」と呼んでいるらしい。
ダンナも「奥さん」と云う言葉は余り好きではないと云っていた。
ダンナの会社には当然同じ名字の人がゴロゴロと居るのだが、家と同じ名字が3人になり、上司のM清さんはダンナのことを「koro」(ダンナの名前だと思ってくれ)と呼び捨てで呼ぶようになったと知った。
それを聞き、私の中ではメラメラと燃えるものが(爆)
と云うのも実は私はダンナのことを呼ぶ時「ちゃん」を付けて呼んでいた。
何故ならダンナの親戚一同、ダンナのママでさえも「ちゃん」を付けて呼んでいて(唯一お兄ちゃんだけが呼び捨てだと云っていた)その中で嫁が呼び捨てで呼ぶのは、流石に気分も悪いかなぁ、とず〜っと思い、諦めて「ちゃん」付けで呼んでいたのだが、ダンナに聞いてみた所別に構わないとお許しが出たので、これからは「koro」と呼び捨てで呼ぶことにしたのだ。
実はダンナの兄夫婦が、みんなが居る前では義姉も「ちゃん」を付けて呼んでいるのだが、二人だけの時はお互い呼び捨てで呼んでいることを前に知って、凄く羨ましかったのだ。
私には一種の憧れであったので、呼び捨てオッケーを貰えたのは嬉しいことで。
未だ無意識でダンナを呼ぶ時はついつい「ちゃん」が出てしまうが、これも時間の問題だろう。
久々にちょっと新鮮な気分でウキウキな私でもあった(爆)

17:08 カテゴリー:82's | コメント(0) »

激しくパパっこ

2002年 9月2日

土曜、産後初めてで、2年ぶりのB\’zのライブに行って来た。
早い夕方に友だちと待ち合わせをし、ライブが終わるその間6時間弱、ダンナにRayをお願いした。
久々の子供からの開放感…と思いきや、なんだろうね(爆)ドラマじゃないんだがライブの間も、所々「ダンナは大丈夫かな?」「Rayは愚図ってないかな?」って結構心配になっている辺り、自分も母親なんだな、なんて思ったりも…(^^ゞ
ライブが終わった後、ダンナが迎えに来てくれたので、早めに帰宅出来た。感謝。
私が居なかった間、Rayはいいこだったらしく、ダンナの手を煩わせなかったようだ。
と云うか、Rayは激しくパパっこなっている。
ここ2〜3週間、ダンナの仕事が忙しすぎて、土日も仕事に出ていて、週末、丸々家に居ることが先ずない。
そのせいなのか、ダンナから帰るコールがあると、Rayに「パパこれから帰ってくるって」と云うと、ちゃんと分かっていて玄関の方に向かって「ぱぱ〜」とずっと叫んでいる…。
帰ってきた時はそりゃもう大興奮。なかなか寝てもくれない。
ママっこよりパパっこの方が私もいいとは思うのだが、Rayのパパに対する「好き好き」度はかなり凄い。
やっぱり子供は何となく分かっているのかな? パパが仕事で居ないこと…遊んで貰える時間があまりないことを淋しく感じているから、こんなにパパっこになってしまったのか? などと思う気持ちもなきにしもあらず…。

日曜、リバティーの修理が終わり、修理工場に車を取りに行った時も、行きは同行してくれた友だちが車を出してくれたので、みんなで一緒に乗っていたからいいのだか、修理工場を出てから、キャリアが車内に積まれていて、先ずそれを付けないとRayのチャイルドシートも着けられないので、取り付けるまでの間は友だちの車にRayと私は乗って作業出来る場所に移動したのだが、その間、パパが居ないと分かった段階で、もう大泣き(^^ゞ
作業する時もダンナがちょっとRayの視界から外れただけで、もうベソをかくし…。
相当のパパっこになってしまった。
最近は、ダンナが会社に行く時なんか、玄関先まで送った後、暫くしたら戻ってくるとでも思っているのか、リビングに戻ったら直ぐ玄関の方に行って「ぱぱ〜」とダンナを探しているし、ある種見ていていじらしくも思うが、反面「私じゃダメなのね。パパじゃないとダメなのね」って云うちょっと哀しい気分も感じる。
まぁこのクソ忙しいのはずっと続く訳ではないだろうから、Rayの異様なまでのパパっこもずっと続くとは思えないが、その執着心といったら大人も負ける程だ(爆)
最近では少しずつ単語のオウムも出来るようになりつつあるし、やはりRayは男の子でもお喋りが早いかもしれないな。
もう「ぱぱ」と「まま」は完璧にマスターしたしね(^-^)

16:42 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

B’z LIVE-GYM

2002年 9月2日

この週末は色々なことがあって、楽しい週末だった。
土曜はB\’zのライブだったのだが、ダンナが仕事から13時半頃帰宅。
みんなで軽食を食べて、私はRayの夜ご飯の準備をし、ダンナに指示をして出かける準備をした。
15時半に港北東急前に待ち合わせをしていたので、15時に家を出て、ダンナのRで送って貰った。
近くにバスのローターリーがあり、そこで降ろして貰ったのだが、そこから陸橋を渡っていた時、丁度Rが、ロータリーを出る所だった。上から見ていたら、ダンナが気付き手を振る(^-^)
その後、いい音を立てながらRは走っていったのだが、次の交差点で信号に捕まってしまった。
それを見ていた時、後ろから(小学1年ぐらいの娘を連れた)家族連れが歩いてきたのだが、そのお父さんが突然
「うぉ〜っ、あのGT-Rカッコエエ〜! いい音出てんなぁ。相当チューニングしてんだろうなぁ」
と立ち止まって叫び始めた(爆)私の真横で(大爆笑)
奥さんは「パパさっさと行くわよ」なんて声を掛けていたのだが、お構いなしで、ダンナのRが角を曲がって見えなくなるまで見続けていた。
よっぽどそのお父さんに「家のRです」と自慢でもしてやろうか(爆)とも思ったがちょっと恥ずかしいので止めた。
Rayは車に乗せて直ぐ寝入ってしまったので、その後ダンナはどうするのかなぁと思っていたのだが、近所の動物園にでも行くか、なんて云っていたので、着いた頃には起きるかなぁ…なんて思いながら待ち合わせ場所へ。
少し時間を押したが、最初に着いたのは私だった。
その後、あや、そしてちゃんと会うのは3年ぶりになるEちゃんと再開。
先ずあやと合流したのだが「koro(←ダンナのこと)とRayは?」と云ってきたので、とうにどこかに行ったよ
と云ったら「何で一緒に来てないのさ。荷物持っていって欲しかったのに」と云ってきた(爆)
だったらそう云ってよ、もっと早く(爆)
一応ダンナにメールをしたが、当然、もうどこか遠くまで(爆)走っている頃だろうから戻ってくるわけはない。
あやは諦めて、お泊まりセット含む大荷物を持ってライブに挑むことになった。

1FにあるイタリアンCAFEでお茶をすることにしていたので、そこで久々に1時間半ぐらい3人で話に花を咲かせていた。
久々で、しかも私はもう会社勤めはしていないので、話題に付いていけるかしら…と思ったが、なんとか付いて行けていた(爆)
でも流石にB\’zのことなどは、結構疎くなってきているので、今回のツアーの話は付いていけなかったが(^^ゞ
でも凄く楽しい一時だったよ。3人でマシンガンの如く喋りまくった(^-^)

それから横国に地下鉄で移動。
最初はホテルでタクって行くかって云っていたのだが、タクシーも居ないので歩くことに。
そしたら、あやが見たがっていたオープニングアクト(前回のツアーまでサポートをしていたメンバー2人が新たにバンドを組んで、B\’zのライブが始まる前の前座を横浜ではすることになっていたのだ)が始まっていることに気付き、開場した途端、あやは猛ダッシュで先に行ってしまった(爆)
あやは前日にも横国のライブに来ているのだけどね(爆)
しかし、今回アリーナ席だったので、開場した入り口から延々15分ぐらい歩かされた。
その間、トイレ渋滞は勿論のこと、凄い数の人数が行き来していて、空気は薄いし蒸し暑いしで、何だかベタベタしている中を遠い目的地目指してフラフラと歩いていたら、何と吃驚! ナンパに遭ったよ(大爆笑)
しかも何故が相手はヤロー共。結婚してからナンパに遭ったのは初めてだったさ。
しかし、こっちは暑くてウザいので「暇じゃないんで」と早々に断ったら
「ケー番教えて、ライブが終わったら呑みに行こうよ」と誘ってきた。
B\’zのライブでこんなナンパに遭うことが一種、衝撃だった。
昔は男の子を捜す方が大変! てぐらい男は少なかったのに、あやの話ではここ1〜2年で急激に男が増えたらしい。
結構しつこいんで結婚指輪を見せながら「ダンナと来ているから」ときっぱり断ったら
「そういうのがまたいいんじゃん」とか云ってきて(`´メ)
「オマエらは誰でも何でもいいのかい!」と文句を云って係員を呼びつけたら凄い勢いで逃げていった(大爆笑)
その後も席に辿り着くまで2回ぐらい声を掛けられた(∋_∈)最近はライブ会場はナンパの宝庫なのか?
席に着いた頃にはボロボロだったよ(爆)
挙げ句、その回りは360度どこを見ても大デブばかりで目眩が…。
デブでないのはヤロー共。あやと私以外はみんな凄い体重ね、ってぐらい酷い状態で…
それが飛んだり跳ねたり、奇声を発したりと凄すぎて、酸素は薄いし、何だか酸っぱい臭いが充満しているし、結構辛いライブだったよ〜(爆)
でもまぁライブそのものは凄く楽しかったんだけどね。
ライブのことはLive Reportに後に詳しく書くことに。

ダンナが迎えに行こうか、と云ってくれたので、終わった後連絡を入れ来て貰うことになった。
しかし、Rには7点のロールバーを組んでいて、後ろに座れる方にチャイルドシートを付けているので、あやが乗るのはちょっと大変なんだが、それでもいいんだったら、とダンナが云っていて、あやも、電車で帰るより全然楽って話で、プリンスぺぺの前で拾って貰って無事帰ることに。
流石にもう洗車しないとカバーがかけられないので、洗車道具を取って洗車に行き、22時前には家に到着。
それから食べて呑んで、と明け方近くまで3人でワイワイやって土曜は終わった。
久々に充実した一日だった。
何より、あやと遭ったのも1年ぶりだし、あやともゆっくり話をする時間が持てて凄く良かった。
その間、Rayを見ていたダンナは、オートバックスに行ったり、近所に出来たコジマに行ってDVDのハードを見たりしていたらしい。
Rayはグズグズでなかったか心配だったが、全く大丈夫だったとか。
ライブに行けて良かったし、ダンナにも送迎して貰って、かなり上機嫌の私だ(^-^)

12:02 カテゴリー:82's | コメント(0) »
2002年9月
« 8月   10月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30