2年7ヶ月の戦い その2(過去を振り返る5年生の話)

2014年 2月6日

2年間厭な思いを沢山しながらも、やっと2年連続で同じだった担任から解放された5年生。

Rayは今まで一度も担任が男の先生に当たったことがなかったので、いい加減男の先生がいい…とずっと話していた。

5年生は初めて男の先生が担任になったので、Rayは4年の時とはうって変わって毎日不満もなく学校に通うように。
唯、Rayの学年は特にやんちゃが多い学年で、今までも色々な問題を起こした生徒が多々居たのだが、その中でも一番問題児と誰もが云う子と一緒のクラスになった。

3年生の夏休みに入って早々、金銭が絡むトラブルに巻き込まれかなり厭な思いをしたので、もうホント、その子には近づくな、ぐらいの勢いで人間関係を築くように…と話していた。

Rayの通う小学校の過去を振り返ると、大体3〜4年生で色々なことが起こるものの、みんな5年生になると落ち着いてくる…と云う話だったけど、Rayの学年だけは違うようで、あちこちで小さなトラブルは相変わらず起きているようだった。

5年に入り、塾でも定期的に面談があり、受験するかどうかの意志など聞かれていた。
私も色々と情報を入手して、Rayも受験してみたい…と云う話を仕始めてきたので、一応受験する…と云うことは塾の先生には伝えていた。
唯、金銭的な問題もあって、我が家は私立受験をすることが出来ないと云うことをRayにも話していた。
国立か公立中高一貫か一般的な私立受験と違って選択肢は少ない。
どちらにしろ、私立とは違って、内申も関係してくる。
色々と調べて行くと、5年生の後期と6年生の後期の内申が必要とのこと。
Rayが通う小学校は前期と後期の二期制で、評価はABCだ。
だが、Aは滅多に付けない学校らしく、余程天才的に出来る子じゃない限りAは付けないと聞いていた。
3〜4年の時は、それでも図工や音楽はAが多かったが、5年の前期ではAはなくなった。
CはないがAもない。
可も無く不可も無く…。

内申は授業態度や提出物などもかなり関係してくる。
そして、Rayはその頃、塾の宿題が多くていっぱいいっぱいと云うこともあり、学校の宿題が疎かになりがちになっていた。
提出日に提出しないことが多々あり、そうすると黒板に提出していない生徒の名前を書かれるのだが、いつも最後の最後までRayの名前が残っていると云うことが多々あった。

面談でも先生に勉強には熱心な方、唯、お喋りも始まると喋ることが多く、提出物が出ないことが多い…と注意された程。

これはイカン。
普段の生活態度も確り見られていて、宿題をやってないと、それがあゆみ(通知表)に反映されるんだよ、と再三云っていたが、中々治らなかった。

5年に入り、塾は週2日だったのが、土曜が加わり週3日になった。
土曜は組分けテストが行われるようになり、月に一度は塾ではない会場で普通に受験の時と同じように模擬試験を受けるようになった。
それの結果で、毎月塾の席順が決まる。
Rayが通っていた塾のクラスは私立受験科だったのだが、その中にもランクがあり、月一の模擬試験の結果でBからA、AからSへと上がっていく。
その他に御三家の専門クラスもあった。
Rayは当然Bクラス。
各クラスにも更にランクがあったので、RayはBの一番下のクラス。
その中でもいつも成績は後ろの方だったので、いつも席は後ろのドアの傍の辺りをフラフラしている状態だった。

5年の後期に入って、案の定、前期のあゆみの結果は可も無く不可も無くだ。
後期は内申に拘わるので、提出物は絶対忘れないで提出期限に必ず出すように…と再三話していた。
それでもたまに出していないものもあったようだ。
面談の度にそこは先生から云われ続けた(苦笑)

その頃には、もう大体どこを受験するのか…と云うことは固まってきていた。

今は私立受験科に在籍しているが、6年生になれば、土曜のYTが公立中高一貫クラスへと変更になる。
そのクラス(Zクラス)は地元の塾ではクラスがないため、6年生に入ったら、地元の塾ではなく、電車に乗って3駅先にあるZクラスがある塾へと転科することになっていた。

今まではMTBで駅まで行って、そこから徒歩で塾に通っていたが、6年生からは駅まではMTBで、そこから電車通塾することになる。
一人で電車に乗って通ったことなどないし、知らない子ばかりの所に通うことになるので、最初は不安がっていたが、子供は順応するものだからあまり心配はしていない。

学校の方は兎に角提出物を、と口が酸っぱくなっても云い続けていたが、4年の時よりはマシになったものの、忘れず提出すると云うことは出来ないままだった。
後半に入ってからは、クラスの問題児に先生がかかりっきりになりつつあって、恐らくストレスだろう、暫く担任の先生が休んだりすることもあったり…と色々あった。

6年に入ったら、カートをやっている場合ではないので、カートは5年生で一端終了と云うことはRayも納得していた。
だからカートもシリーズチャンピオンを獲るチャンスはこの年が最後だったのだが、結果はやはり4年の時と同様でシリーズ3位で終わった。
カートのレースがある時は土曜の塾は休むことになっていたが、流石に6年生になってカートを続けて受験と云う器用なことは出来ないと思っていたし、正直カートなんてやっている場合ではないだろう…と云うのが正直な所だ。
宿題を終わらせなければカートにも行かせないと話していたが、どうしても終わらない時はカート場に宿題を持って走行待ちの時間の時にやったりもしていた。

結局、本人は頑張ったと話していたが、内申に拘わる5年後期の内申も可も無く不可も無い結果だった。

6年で挽回しないと内申点が低いとそれだけ受験で高得点を取らないと合格は厳しいとRayには話したが、果たして6年の成績はどうなるのか…。

塾は1月で学年が終わり、2月から新学年度が始まる。
1月末から2月頭までは、塾の先生は受験生にかかりっきりになるので、Rayの新6年生は2月中旬から始まった。
その時から今まで通い続けていた地元の塾から3駅先の塾へ転科したので、今まで20時過ぎには帰宅していたのも、早くても20時45分頃。
居残りをしたりしたら21時を越える帰宅と云うことも屡々。

まぁ家は男の子だから心配することもない。
兎に角事故には気を付けるようにと云うことと、怪しい人には近づかない、何かあれば叫んで助けを求めろ(笑)と話していた。
女の子のママは、駅まで迎えに行ったりしていたから大変だよなぁ…と思った。
そういう所は男の子だと楽だな(笑)

最初は知らない子ばかりだから緊張もあったようだが、そのクラスは周囲のあちこちの小学校からみんなが通ってきているので、Rayと同じ学校から通っている子は一人しか居ない。
でもみんな色々な所から来ているのだから、さして気にすることもないだろうし、勉強する場だから、学校のように何かある…と云うことはないから心配はしていなかった。

新6年生度に入ったので、いよいよ志望校を確定しなければならない。
先生は横浜市内にある学校を薦めてくれていたのだが、そこは偏差値も高いし現状のRayでは絶対合格なんて無理と思っていたので、家から通うにも1時間もかからないと云う理由もあり川崎市にある学校を志望校にした。
唯、その学校、2014年度に開校するので、過去問題もないし学校そのものの情報もない。
唯、高校は前からあり、そこに中学校が併設される併設型なので、高校の偏差値から考えると、恐らくこれぐらいだろう…と塾の先生からは聞かされていた。
まだそちらの方が合格する可能性はありそうだし、再三先生は市内の学校を薦めてくれていたんだけどねぇ…。

だが、6年生の夏に大どんでん返しが起きる訳だ(苦笑)

と云うことで、6年生へと続く。

23:28 カテゴリー:kart's Diary, Nursery's Diary



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