デジタル化

2010年 9月2日

今日日、色々なものがデジタル化している時代に突入。
それは紙業界の中でも当然のことで、私の仕事であるグラフィックデザインだってそうだ。

私がこの業界に入ったのは19歳の時で、デザインの専門学校を卒業して最初のデザイン事務所に入った時からデジタルとの付き合いは始まった。

当時のグラフィックデザインは、ラフを上げて原寸カンプを作る段階に入って、今では多分殆どなくなってしまったであろう、写植屋さんに指定を渡して写植を打って貰い、それを拡大したり縮小したりを紙焼きして、切って貼ってのもの凄く地味な職人作業だった。

新人の仕事は簡単なペラの仕事を任されるまではお使いと雑用で、最初の会社の仕事がJR東日本の仕事が大半を占めていたため、旅行関係のパンフやポスターの手伝いをさせられたのだが、旅行関係のスペックって結構ギリギリまで赤字(修正)が入るので、その度に写植屋に連絡して無理矢理頑張って打って貰ったり、それに更に赤が入って結局、トゥイザー(先の尖った専用ピンセット)とNTカッター、大きな三角定規のセットで平行に切って要らない文字を取って、空いたスペースを詰めて…とチマチマチマチマと正に職人の域に達するような仕事をしていた訳だ。

唯、そこでチーフデザイナーをしていた人がMacに興味を持っていて、電算写植で旅行パンフのスペックを打って貰ったものをスキャナーで取り込んでMac内でレイアウトした方が時間短縮を図れる…と考えていたので、私は運良く社会人1年目からMacを弄って勉強することが出来た。

当時のMacはIIci(笑)

でも当時はフル装備させるのに100万以上したので、私は滅多に触らせて貰うことも出来ず、仕方なくその横にあったSE30でIllustrator1や、Studio8やStudio32、QX1.××を弄って必死に勉強していた。

今の時代と違ってまだ日本にMacが浸透していた訳ではないので、Macのことは勿論、アプリの使い方を教えてくれる学校も書籍もない時代だったから、もうホントに時間を見つけては弄って独学で覚えていくしかない。

だから今のようにあるものを作るのに、例えばだがA→A→Aと云う方法で作るとhow toされていても、独学で色々なことを試して自分を成長させていたので、A→B→Cでも作れたし、C→B→Cとか兎に角色々な行程を経て、作り上げると云う武器を手に入れたものだ。

今の若い子はデジタル化が進化した時代で育ってきたから、それが当然で、作り方にしても本屋に行けば直ぐhow to本が売られていて、それを見ながらちょちょっと弄って、ほら完成! って。それが出来れば、はい次って感じだけど、手作業からデジタル化に移行した我々の世代は、手作業の時代を踏み台にしてきたからこそ、作る工程の幅が広く、柔軟に物事を考えることが出来るのだ。

Macが弄れるからPhotoshopがIllustratorが弄れるから、デザイナーになりたいって考える子供が多い。

そういう好奇心はいいと思う。

でも、弄れる=デザイナーになれる、と云うのは全く違う。

もっと厳密に云うと、弄れる=デザインが出来る、ではないのだ。

それに気が付いている若者って殆ど居ないような気がする。

Macが弄れる、でも事務の仕事はつまらない、だからデザイナーになろう…と云うキッカケでこの業界に入ってくる子供は多い。
勿論、そういう好奇心がある子は大歓迎だ。

でも、カタカナ横文字業種だからと何を勘違いしているのか、デザイナーって華やかなものと勝手に思い込んでいる子が殆どで、そりゃ今では切って貼っての作業はないけど、それに似たような地味な作業の繰り返しに変わりはないのだ。

トゥイザーやNTカッターが、マウスに変わっただけなのに…。

最近のデザイン学校でもMacを弄れるのは基本中の基本とそればかり重点を置いて教えているみたいだが、もっと根本的な基礎を教えた方がいいと常々感じてしまう。

機会があるのなら、学校で講師をしたいぐらいだよ(爆)
(ま、それは冗談だけどねw)

ようはMacは画材道具でしかないってこと。
アプリは画材のひとつにすぎないと云うことを理解した上で、それを上手に使いこなして自分のアイディアの引き出しをめいっぱい引っかき回して仕事が出来るようになることが一番の理想だ。

私は既に第一線を退いているので、最近ではデザインの仕事よりもオペレーターの仕事の方が多いけど、弄っていないとどんどん脳と腕が鈍ると自負している。

アプリも弄ってどんどん色々なことを試していかないと置いて行かれると云う焦燥感さえ感じることがある。
若者はそんなこと感じても居ない。

多分、これは自分が老いているからなんだろうねぇ…(爆)

最近、特にデジタル化の移行が激しいな…と思うのはマンガだ。

色々みたりするけど、デジタル化に伴って、それを自分の手のように使いこなせている人とそうでない人の差が激しいと思うのは自分だけなんだろうか。

カラーだけをデジタルで仕上げる人も居れば、完全に原稿もフルデジタル化にしている人も居てそれぞれ。

唯、良く思うのが、デジタルでトーン処理している原稿って一発で分かるものが多い。

それはどうしてなんだろう…ってよーく考えてみた。

で、何となく分かったことがある。

それは、ペラいのだ(笑)

ペラいって云うか、のっぺりしていると云うか、兎に角立体的じゃないって云うか。

確かに重ね貼りとかしているのに、なんでそう感じるのかな…って思ったのだが、多分、削りがないからだ…と思った。

背景も綺麗になったけど、デジタルだなーって感じちゃう。

それが当たり前になっている時代なんだろうけど、何か薄っぺらい感じがして仕方がない。

鳥山明の「ドラゴンボール」や尾田栄一郎の「ONE-PIECE」、井上雄彦の「バガボンド」なんかはトーンを必要最低限しか使っていないのに、全然薄っぺらくない。

多分、これはトーンの処理のことだけじゃなく、構図とか描き込み方とかの違いもあるんだろうなぁ…と思う。

反面、宝井理人のように繊細な線だけど、デジタル化しているのに、あまりそう感じさせないような漫画家も居る。

それは多分、使いこなせているからだ。

自分の絵にあったように使いこなせているからなんだと思う。

最近「capeta」の曽田先生のブログを欠かさず見ているのだが、あの先生も完全手書きの職人気質タイプ。

今、「capeta」と同時進行で「Moon」の連載も抱えて凄い仕事量をこなしているけど、カラー原稿も手抜きがない。
気に入らないと原稿も何度もボツにして描き直しをしてヒーヒー云っていることをブログに上げていたりしている(笑)

デジタル化は悪いとは云わないし、寧ろそれで今まで手だけでは絶対に表現出来なかったようなことが出来るようになったことは私も好ましいと思う。

唯、やはりどんなに時間が流れても、どんなに進化して云っても、所詮、道具でしかない…と云う自覚を持ってそれを自分の手で使いこなせるようになっているかどうか…と云うのが大事なんだよなって思うのだ。

デジタル化になって凄く綺麗なカラーを見て感動したことがある。

でもその反面、手描きでしか表現出来ないようなカラーを見て「ああ、やっぱりこっちも凄いな」と思う自分も居るのだ。

だから、どうか若者たちが、デジタルに飲み込まれるのではなく、自分に合った使い方をして、使いこなせるような大人になって欲しい。

あー、何だか遺言みたいなブログになってしまったなぁ…(笑)

お年寄りの戯れ言だと思って…(笑)

15:14 カテゴリー:Macintosh's Diary



(必須・公開されません)


Your Comment:

 
2024年5月
« 5月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031