2000年2月

400年に一度の閏年

2000年 2月29日

今日は地球の自転の関係で400年に一度の閏日なんだそうだ。
今日誕生した子供は4年に一度のうるう年以上に凄い日、400年に一度しか正式な誕生日が来ないんだ、こういう時に狙って出産も多いんだろうなぁ、なんて思っていたらダンナから義理兄のところに女の子が産まれた、とメールが(爆)

さて、その400年に一度の凄い日に、やっとやっと1年もかかって挙式関係のHPを公開できた。
もー、本当に大変だった。
写真点数も多いからまずはそっちの素材作りからずっとコツコツ作っていたのだが、途中、夏にはつわり、初冬には死産、暮れは父が倒れて…と何かとバタバタしていて何時になったら公開出来るのやら、と思っていたが、やっとそこに辿り着けて取り敢えずホッとしている。
でも実は、まだ完全には完成していないのだ。
国内でやったパーティーのページは全く手を付けていない。
大阪から当日来てくれたカメラマンの友人、Tっつん(^-^)が沢山写真を撮ってくれて、そこからまずは厳選して、スキャンの嵐に突入しなければ(爆)
だからまだ一部は完成してないのだけど、まぁ大体は出来上がっているし、今公開しないと本当に何時になったら公開出来るのか分からないのでね(爆)
しかし、写真点数の多いこと(爆)これでも自分ではかなり厳選したつもりだったが、写真だけでも何MBもあって、これでは自分のHPサーバーの容量が10MBなのに大丈夫なんだろうか…と悩みもしちゃった。まぁこれからちょっとずつ、もう少し画像などは軽くする予定。

本当はどうしようか凄く悩んだんだけど、海外挙式をする人の参考にもなれば…という考えもあって普通に公開しようか、とも思っていたんだよね。
でも、遠くにいる親戚や友人はなかなか家に来てアルバムを観たりは出来ないし、そういう人からのリクエストもかなり多かったので、結局、プライベートの写真などもかなりの量を公開した。1枚1枚にコメントも付け、当時の日記も公開した。
だから現状では知り合いにしかURLは教えていない状態だ。
日記はかなり自慢だ(爆)私は何だか文章を書くのが好きという恵まれた性分で(爆)
挙式の時も新婚旅行の時も、毎日必ず日記を付けていた。時間さえあれば、飛行機の中ででもダンナが寝静まった夜中にでも書きまくっていたものだ(爆)
今までも海外に旅行した時は必ず無印のノートを持参して、その日したこと、起こったこと、思ったことを凄く細かく書き綴っている。
それは以外にも役に立つのだ(^-^)

ダンナはそういうことが苦手なので、絶賛していたね、当時(爆)

家に来て挙式関係のアルバムを観た人は、みんな云うが、アルバムの写真1枚1枚に細かくコメントを付けているのだ。これは後に時間が経っても、その当時を思い出しやすくするためにしているのだが友人や親戚からは、大好評だった。
たまたま、自分もダンナもカメラ好きで、リバーサルフィルムをごっそり持って写真は撮りまくり(爆)
特に私はどうでもいいようなホテルの部屋の写真とかも撮っている。
でも『こういうところで泊まったなぁ』とかその時のその場所の想い出ってあるし、アルバムにした時はそれはそれでとても楽しいものだから、と思ってしている。
実際、挙式関係の写真を親戚や親にプレゼントをするけど、それも自分たちで写真を引き伸ばしアルバムを購入して、1枚ずつにコメントを入れてプレゼントをした。
それも好評だった。特に、父方の親戚は事情で挙式に参加出来なかったから、そっち方面からは絶賛されたものだ『自分は参加していないけど、まるで参加したように思えるぐらい素晴らしい』って。
と云うことで、挙式当時の日記は楽しめるよ。
特に参加してくれたみんなは『そうだったねー』などと思い出したりも出来ると思う。
それと、先日オーストラリアに行って来たばかりのMぞ〜やTにゃ(伏せ字にするとかなり怪しい)には
新婚旅行の日記などは、また違った意味で楽しめるはず。楽しんでちょーだいね(爆)
そして、感想など聞かせて貰えるともっともっと嬉しいし、これがこれから海外で挙式を考えている人にちょっとでも役に立ったら、凄く嬉しい(^-^)

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アライグマの記事

2000年 2月28日

今朝の朝日新聞で、またアライグマの記事が載っていた。
今度はレッサーパンダとの比較記事だ。分類上も近いのに、天と地の差って書かれている。
レッサーパンダは少ないから、今、全国の動物園でお見合いをして繁殖させるという計画が実施され、反対にアライグマは野生化して民家などを襲うので…と下記にも書いたようなことを念押しの如く記事にされている。
アライグマの野生化が増え、被害が多いのは北海道と何故か神奈川。横須賀や鎌倉だ。
最近では、家の近所である横浜市港北区でも野生化したアライグマを目撃した話もちらほら。
現に私も昨年3月28日の夜中に家の横を通り過ぎたアライグマを窓ガラス越しに目撃したし。
記事には、新年度から本格的に駆除する、と書かれている。可哀想だ。
現状では、神奈川では昨春、13匹の赤ん坊を捕獲し、不妊手術、予防接種など8万円以上を負担しても構わないという里親に引き取って貰ったと書かれている。
今年はさらに多くの赤ん坊が産まれるだろうが、里親に頼るしかない、と書かれていた。元は飼いきれなかった飼い主が放したために野生化して、この事態を引き起こしているのだけど、でも、だからって駆除してしまう、または里親に頼るだけでいいのかなぁと個人的に思う。
例えば、駆除するぐらいだったら施設を作って、そこで保護するとか出来ないのか? と。
実際、施設を作るにしても莫大なお金がかかるから、早々作れるものでもないだろうが、日本では申告漏れとかで騒がれているところもあって、お金はまだまだ上の方ではあるじゃんかっと思うので、そういう資金は何とかならないのか? と思うのだ。
そういう所にもお金を回したりするので国民から税金を取っているのではないのか? と。
一体、雀の涙ほどの稼ぎから根こそぎとれらる税金は何に使われているのか、本当不思議でならない。
記事によれば、笑えるというか笑えないというか、20年ぐらい前から輸入が増え、野生化。
全国の動物園に引き取りを打診したがもう限界。
だったらそれこそ、動物園に資金をちょっと回して、施設を充実させたり出来ないのかなぁ。
原産地の北米へ戻す案も出たが、生態系を崩す恐れがあるから、とやんわりと拒絶しているとか。
産まれたアライグマには罪はないが、今日日、人間様でも幼児虐待が頻繁にニュースになる昨今。
どちらも何とかならないものか…と思うのは私だけではないだろう。
かと云って、家には1匹いるのだから、もう1匹ぐらい飼えるだろう、と云われたとしても、とても承諾できない、というのが心境。
それだけアライグマを飼うことが大変なのを知っているから、安易に「大丈夫です」とは云えないのだ。んー、現実は厳しい…。

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コロスケ

2000年 2月24日

その後のコロと云えば、いきなり寒いところに出して、大丈夫かな? と思っていたのだが、全然問題なく(案の定)彼女は逞しく生活をしている。
家の中に居た時よりも、夜行性の生活が完全にはっきりしている状態で、彼女には良かったのかも、とも思う。流石にいくら盛りの時期とは云え、寒さには耐えられない状態では大変なので、確りお水とドックフードを与えているお陰で、また丸々してきたというのと、やはり外は寒いので、何気なく毛がふさふさしてきたように感じる昨今。シッポなんて凄く太くなっちゃってんの。
でも、盛りが終わっていないので、トイレの横にこんもりとうんこがあるのが…(^_^;)
昼間は陽が当たってぽかぽかしている中で、丸くなって寝ている姿はやはり可愛いと思う。

アライグマと云うことで、昨日の朝日の朝刊で、アライグマの記事が掲載されていた。
これはもしかしたら神奈川版だけかもしれないが、鎌倉界隈に野生化したアライグマが頻繁に民家などを襲ったりしている、ということは昨年からかなりの噂ではあったけど、可愛さのあまりに飼ったはいいが、結局、犬などと違って従順性がないので懐かない、ということから飼いきれずに放してしまう人が多く、そのアライグマをどう処分するか、という記事だった。
結局、まだ結論は出ていないが、市役所単位で、動物病院などで安楽死させる方法を取りたい、という話がかなり持ち上がっているようだ。
それは、まぁ分からないでもないかな? とも思う。いきなり自分の家の屋根裏なんかに勝手にアライグマが住み、その上子供まで産まれちゃったんでは、堪らないしね。
しかし、ここで問題なのが動物愛護協会。当然、動物をむやみに殺すのはちょっと…
という意見と二分されていて、役所としても、どう対処すべきか悩んでいる、といった内容だ。
実際、現状ではボランティア団体などが保護し、里親を捜している、と云う感じだが、それでも追いつかないというのが現状。
アライグマを飼っている側としては、飼えないのだったら最初から飼うべきではない、飼ったのなら最後までちゃんと自分で面倒を見るのが常識、と思うのだが確かに大変なのも事実。
元々はダンナが飼い始めて同居した時連れてきて、ダンナがネット上でHPを公開しているその関係で全国アライグマを飼っている人との情報交換などをやったりしているからアライグマにも個体差があることがよく分かった。
因みに家のコロはとてもじゃないけど、放し飼いには今では出来ない状態だ。
たまにゲージから出して遊んだり、外に散歩に連れていくことはあるが、犬と違って手先がとても器用なので悪戯が凄いのだ。
今は頑丈なゲージに入れているが、引っ越す前のボロ屋で飼っていた時は、パーツを組み立ててゲージにしていたので、しょっちゅう脱走してはコードをかじったり、灰皿をひっくり返したりその度にゲージを強化して、と正に鼬ごっこだった。
一番痛かったのは、プレステのブルブルコントローラー。
あのぐりぐりしたところのスポンジ状なのが、彼女には相当堪らないシロモノだったのだろう。
何個買い直したことか(苦笑)
ダンナのHPやチャットを頼りにアライグマを飼いたいと思っている人からたまにメールが届く。
『飼いやすいですか?』『いくらぐらいしましたか?』『何を主食にするのですか?』などなど。
ネット上で知り合ったアライグマを飼っている人が良く云っておられるが、相当な覚悟がなければアライグマを飼うことをオススメできない。
だからダンナもそうやってメールを送ってきた人に対して同じように返答をするのだ。
下手をすれば、流血沙汰、縫った人もいるとのことだし。
ここまで非難してきたが、アライグマの魅力は『世界一可愛い破壊工作員』(これもアライグマを飼っている人が云っていた名言だ)
犬や猫と違って吠えたり鳴いたりが殆どなく、煩くないし体臭もないに等しい。
しかし、覚悟がなければ飼えない。
だからあまり飼うことをオススメ出来ない。
アライグマとは「あらいぐまラスカル」とはほど遠い(?)動物なのだ。
でも心情としては、アライグマを飼う人が増えてくれるのは嬉しいことなんだけどね…。
それはさておき、ダンナとも良く云っているのだが、ラスカルの色など、どう考えてもあれはアライグマではなくレッサーパンダのような気がしてならないのだが…。
だって、アライグマって全身が焦げ茶(お腹は白だが)目の周りだって焦げ茶だよ。
「あれは違うだろー」と良く話をしているのでした。
そういう家のダンナもラスカルでアライグマを飼い始めた一人なんだけどね(爆)

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昨日のマドレーヌ

2000年 2月21日

昨日作った無印のマドレーヌは、1日おいたら、一層美味しく感じられます
と箱に記入されていて、『ホントかよ』と思っていたけど、ホントだったので、少し無印もいーっすね。と思う私。

今日、コロが初めて外に引っ越ししました。
家の中だと、リビングがアンモニア臭いので耐えられないし、ベランダが今の家は広いからと云うのもあって、ゲージ毎引っ越しです。
彼女はどういう状況か分かっているのか、理解できないが(爆)とにかく寒いからドッグフードと水はたっぷり与えたので、そっちの方が嬉しいようだ。
かなり毛が抜けて、あっという間に冬毛から脱出していたのに、この分だと一気にまた冬毛に戻ったりして…何て冗談を云っていた(爆)
問題は外から見られて色々と問題になっては困るので、ゲージの周りをベニヤ板で囲んでいるので、彼女の視界は木しかないから、リビングよりかはつまらないかもしれない、と思うとちょっと不憫だな、とも思う。
でも、日光を直接浴びたり、新鮮? な空気を吸ったり出来るので、それはそれでいいかな、何て思っているけど、外に出て、より一層野生化しちゃったらちょっとどうしましょう…と、実はこっそりとドキドキしていたりする私なのだ。

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お菓子作り

2000年 2月20日

お菓子作りは本当に繊細で難しいと常々思っていて、実は昨年のクリスマスイブに専業主婦なんだから
頑張って、ブッシュ・ド・ノエルでも作ろうか、あれだったら、取り敢えずスポンジさえ巧く作れれば、後は生クリームを塗って巻けばいいし…と思い、スポンジにチャレンジしたが、案の定、スポンジが固くてふわりと膨らまず失敗。その後直ぐにもう一度チャレンジしたが、やはり同じ現象で、失敗した。
ダンナのママが引越祝いとしてプレゼントしてくれたアムウェイのフライパンだったら綺麗にスポンジが焼けると云っていたので、翌日のクリスマスに三度チャレンジしたが、やはり結果は同じで、スポンジを作っているのか、ちょっとしっとりしたクッキーを作っているのか自分が分からなくなってしまうほどに…。
結局、原因を追及していると、どうも卵の泡立てが足りないのでは? と答えを出した。
やはり手動で泡立てるのでは、腕が疲れてしまって、どうしても『もう大丈夫だよな?』と疲れた勢いで判断し、結局失敗に終わっていたと。
因みに三度目はダンナと交互に泡立てをしたのだが、やはり失敗終わっているしね。
そして、やはりお菓子を侮ってはいけないことを自分で確りと悟り、ここは電動泡立て器を購入してちゃんと泡立てをマスターしなければ、この先、お菓子作りはマスター出来ない、と実感。
たまたま暮れに近くのちょっと大きなスーパーで安売りをしていたので購入。
何故か、ブルーのスケルトンでラメが入っている電動泡立て器(-_-;)
お菓子を追求する訳ではないので、どこのどんなデザインでもオッケーなのだ(爆)
そして、あまりにスポンジの難しさに萎縮した私は、地元に出来て間もない無印良品でマドレーヌセットを購入した。いや、何でマドレーヌかって云うとね、ダンナが好きだから(爆)
因みに紅茶だかのシフォンケーキセットも購入している←これは私が好きだから(^-^)
直ぐに作ろうとは思っていたのだが、暮れは父が入院したりと色々とバタバタしていたせいもあって結局、作らないまま今日を迎えていたのだ。
で、昨日の夕方、父の入院している病院に顔を出した帰り、スーパーでちょっと買い物をした時、たまたま100円でエクレアを売っていて、ダンナが物欲しそうだったのだが、その足で一点張のラーメンを食べに行ったので、結局買わずに帰ってきたのだ。
が、家に帰って暫くしてダンナが
「エクレア…」
と呟いて(爆)縋る目で私を見つめるので(爆)おぉそうだ、マドレーヌでも作ってみるか…
ということになったのだ。
で作ってみたものがコレ↓
家にあるのは立派なオーブンレンジではないので鉄板も付いていないのだが、まぁちょっとしたものぐらいは作れるし、チャレンジしたさ。
で、暮れに買った例の怪しい? 電動泡立て器を使って作ってみて、熱が冷めて試食したが、なんとなくマドレーヌちっくな感じの味だった。
ちゃんと小麦粉とかを使って作れば、もっと美味しいモノが作れるのだろうが、まぁ今回は成功でしょう。
お菓子作りは私にとって永遠の課題かもしれないなぁ…と改めて実感する。

一緒の会社で働いていたデザイナーYちゃんの奥さんCちゃん(彼女も元デザイナー、現在は子育て専念中)が料理もさながらお菓子作りもとても巧くて、たまに遊びに行く度に必ずシフォンケーキを作ってくれるのだが、これがまた絶品で、彼女のように作れるのが、目標だな。
お菓子は普通の料理と違って、失敗の率が高いから、まぁ私の場合は何度もチャレンジして失敗を繰り返して成功を掴む、と云ったところかしらん(爆)

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慶應蹴球部の掲示板

2000年 2月15日

慶應蹴球部には、部員が立ち上げ管理している蹴球部のHPがある。
そこには今シーズンの結果とか、慶應ラグビー部関係のHPのリンクとか、チャット、掲示板、おまけに部員に対してメールも送れるという、凄いモノだ。
私が、ラグビー狂だった時代には、当然、インターネットという情報手段が無かった時代だったので、今の時代は本当に恵まれているなぁ…と実感した。
昨日、その掲示板に日本選手権の観戦した感想などを書き込んできたが、今日、覗いてみたら上田監督自らが書き込みをしていた。
それには驚いた。確かに読んだり書き込みしたりするだろうとは考えられるが、今回の試合のこと、これからの試合のこと、応援してくれたファンに対しての感謝の気持ち…
凄いなぁ…の一言だ。
84年度松永組、85年度中野組、?年度立石組…と強かった時代のチームに対して、当時はダイレクトに感想とか、話などはできなかったのに、今では慶應ファンがダイレクトで部員や同じ慶應ファンとやりとりが出来る…凄い時代だ。

掲示板の書き込みで上田さんが、3月にもまだ試合があるのだが、4年生は卒業旅行に行ってしまうので
チームの戦力が落ちてしまうが…などと書き込んでいた。
私が、例の↓卒業旅行が云々云っていた野次のことを残念だ、と書き込みをしていたからそう書かれていたのかは分からないが、やはり今時はそういう時代なんだな・・と改めて実感した。
ラグビー部の試合よりも、卒業旅行なのだろう。
こんな時代になって、その中で産まれた子供たちをいかに巧く戦力に繋ぐか…
とっても大変で難しいことだと実感する。
それでも、ここまでいい結果が出せたのだから、まんざらでもないのだろうか…。

14:23 カテゴリー:82's | コメント(0) »

第37回日本選手権

2000年 2月14日

昨日、第37回日本選手権、一回戦の2試合を秩父宮ラグビー場に6年ぶりに観戦してきました。
今回のカードは第一試合が神鋼対大東文化大、第二試合がNEC対慶應。
当然乍、私のお目当ての試合は第二試合。尤も、来ていた観客の大半がそうだったみたいだが…。

私が足蹴く通っていた時代は、一般席というチケットの種類があって、それはバックスタンドどの場所でも自由席だったのだけど、6年も経つと色々と変わっていて今回は、B席というチケットだった。買いに行った時、もうそれしか残っていなかったのだ。
それはバックスタンド・メインスタンドのセンター4ブロック以外の自由席というチケットだ。
当然の如く、みんな14年ぶりに大学日本一になって日本選手権に出場した慶應の試合がお目当てだから早く行かなければいい席では観戦できない。
今回は1000円のB席のチケットで2試合観戦できるので、第一試合のキックオフ12時15分よりも早く行って席を確保しなければ、それは報われない。
私の考えでは遅くてもキックオフの1時間前には会場に到着していたかった。
が、その日、忘れもしない明け方3時35分にピッチが鳴り響き、もしや父の入院している病院からかも
と思い、飛び起きてピッチを手にしたものの、その時すでに遅しで、電話は切れていたのだ。
相手の番号は分からず。もし病院からだったら、先に自宅に電話するはずだし、おかしいと思いつつも、『もしも』と考え、4時ぐらいまで鳴るかもしれない電話を待っていた。
結局、イタズラか間違えみたいだったが、大体3時35分なんて、酷い時間帯に間違いやイタズラなんか
するとはかなりあくどいヤツだ。それに対してかなり怒りつつも、相手をキャッチすることが出来ないので大人しく寝たが、それがあって、寝付きが悪く、浅いため朝、思っていた時間には起きられず、結局、会場にはそれでも11時30分頃入った。
入った時はもうバックスタンドの席がある部分は満席で、係員がメインスタンド側のB席に移動するよう指示を出していたので、急いでメインに廻り、なんとか席を確保する事が出来た。
2試合分、立ち見で観るのは辛い。おまけに昨日は予報に反して曇りのうえに、気温が低くメインスタンドの上の方で観ていたので、日光が全く当たらない場所だったから、結構寒かった。

最初に試合ははっきり云ってお話にならないほど観る側としては面白くない試合だった。
89対7だかで神鋼の圧勝で、神鋼ファンには楽しかったのかもしれないが、社会人と学生の試合がここまで大差が開くと、観客はだれてくるのだ。
おまけにそうなってくると、ラグビー好きのオヤジは野次を飛し始めるので、一生懸命頑張って試合をしている選手には、はっきり云って失礼極まりない。
気持ちは分からないでもないが、選手が集中できないような野次を飛ばすのは観戦する側のマナー違反だ。これは昔からずっと起こっていたことで、何年経ってもそういう部分は改善されないなぁって実感した。

お目当てだった第二試合は、それはもう、凄い盛り上がりようだった。
選手がグラウンドに入場し始めた瞬間から、観客から「ウォーッ」という歓声が沸き上がる。
久々に体験した私は、もう居ても立っても居られない(爆)
昨秋に発売した慶應の監督である上田昭夫氏の著書の中で、14年前の学生たちと現在の学生たちの違いを綴っていて、当然乍、今の学生は昔と比べて『忍耐・根性・努力』などという昔からの体育会系を嫌い、ずっと負け続けていたこともあり、ダラダラしている部分があったとも書かれていたのだが、そこから今時の子供ならそれに合わせて組織をまとめて…と考え努力してその結果が大学日本一なのだから、相当凄いのだが、今時の子供でもやはり慶應は慶應で、グラウンドに入る時、グラウンドを去る時には、グラウンドに対して一礼をしていたところを観て、何だかとても嬉しくなってきた。
あの頃若林が卒業して、それからまた少し低迷し、第二期黄金時代に突入した頃の、キックオフを蹴る田村が蹴る前に必ずFWに対して「FWいーい?」と云ってから蹴っていたことや後半17分から1点差を守るため、猛反撃を受けながらも耐え抜いた対明治戦のことなど走馬燈のように鮮明に甦ってきて、あの頃の試合を懐かしく思っていた私です。

第一試合が終わった時、日本選手権のパンフレットを買いに、一度会場から出たのだが、その時、ついでにメイン側にあるテニスコートで、試合前にアップする選手を覗いてきた。
そこには、私がマメに通っていた時代の選手だったOBが、今度はコーチとして、選手と一緒に社会人日本一を目指している姿がそこにはあった。
私も歳を取ったんだなぁ…なんて思いながら、試合を観戦していたものだ。

前半はリードされつつ、リードしつつの展開で、観ている側としては最高の試合だった。
前半が終了した時は15対17。僅か2点差でNECがリードしていたが、後半、スタミナが切れず頑張れたら、もしかしたらもしかするかも…と思っていたが、結局は29対52で負けてしまった。
しかし、試合展開としては実に面白く、社会人相手に良く頑張ったなぁ、点差だってそんなに広がってないし、慶應ファンとしては、充実して帰ってきたと云ったところだ。
当然だが、ある時期から時間を考え、逆転出来ないと分かっていても、慶應がトライしそうになれば観客のかなりの人が興奮のあまり立ってしまうほどだった。
当然私も立ってしまっていたが(^_^;)
後半にはスローフォワード(パスを前に出してしまった反則)でトライが無効になって、残念だったが、実は15年ぐらい前にも、松永という選手がスローフォワードと判定され逆転できず苦い思いをしたことがある。それを思い出し、ついつい「どうして慶應はどこまでもスローフォワードに悩まされるかなぁ」などと独り言を云ったら、傍に居た慶應ファンの男性が「全くだ」と相づちをしていたことには笑える。

面白かったのは、前半に慶應がNECを逆転した時、ファンの人が一斉に掲示板の点数を写真に撮っていたことだ(爆)慶應が社会人相手に逆転をしたそのスコアを記念に撮っている。
気持ちは私も同じだった(爆)今度、いつそういうシーンを観れるか分からないしね…。
夜のスポーツニュースで、上田監督のインタビューがあったが、そこで彼は試合には負けたが、こんないい結果でシーズンを迎えることが出来たとに、充分満足していると語っていて、これから主要メンバーが卒業して行く中で、次のシーズンをどう責めていくかきっと彼の頭にはもう次のシーズンのことで凄い勢いで脳が働いているに違いない…と思う。
また次のシーズンも最低でも1試合は観戦したいなぁ…と思う私だった。

しかし、今回の観戦でとても頭にきたことがある。
私の後ろにいた人が、多分、現役の慶大生で、選手の誰かと知り合いなのだろう、こちらは慶應が好きで応援しに行っているのに、彼はまだ子供だな、選手と知り合いだと云うことを周囲のラグビーファンにアピールしたかったのだろうか、「○○は卒業旅行でスペインに行きたいから、このまま勝ち続けると旅行に行けなくなるから真剣に試合に勝ちたいなんて思っていないよ」
とぎゃーぎゃーとデカイ声で云っているのだ。
確かに卒業旅行は今回しかない。当然、行きたいと思っている選手が実際にいるかもしれない。
でもだからと云って、試合をしている時に、廻りは慶應を応援している大勢のファンがいる中で上記のことを云ってもいいと思う? そんなことは学校内で云いたければ云えばいいのだ。
『もう一度云ったらぶっ飛ばしてやる…』と心の中で何度思ったことか。
慶應のくせに、なんてバカな学生なんだ、と本当に心底思った。
今の学生はこれだから…と云われても文句は云えないことを平気で云っているのだ。
それだけが、本当に残念でならない…。
たった一人の慶大生が云ったことで、慶應のイメージは悪くなるのだ。
周囲にいた慶應のファンも怪訝に聞いていたようだ。
あぁ、ホントーに残念で仕方がないよ。

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徒然

2000年 2月12日

気が付けば、もう12日になってしまった。2月10日は入籍記念日でした。
もう入籍して1年も経っちゃいました。あっけない。
普通だったら、ダンナさまから『どこか美味しいレストランにでも食べに行こうか』とかあるのだろうけど、当然の如く、家のダンナは10日が入籍した日だと云うことも覚えていないんだろう、何も云ってこない。
元よりその日も家には帰ってこなかったし、私は私でコロ(ダンナのペットのアライグマ♀)のくさ〜いアンモニアの臭いに耐えられず、早々寝室に引きこもって「ケイゾク ノベルズ」を読みふけりつつ、何時のまにやら寝てしまった。色気も欠片もない(爆)
明日(もう今日だけど)は父の入院する病院へ顔を出し、洗濯をして一日が終わるだろうし、13日は6年ぶりのラグビー観戦だ。早く起きてちょっとでもいい席を確保しなければ。
ダンナは早起きできないだろうから、この分だとラグビーも一人で観戦だろうなぁ。
まぁしょうがない。兎も角、私は慶應の試合が生で観れる喜びの方が大きいのだ。

昨日のMステでB\’zが新曲を披露していたけど、松本の使用しているアンプがどこのか知りたかったのに
『玲』の字がでかすぎて、どこのメーカーかも分からなかった(爆)
丁度歌っている時、母と電話で話をしていたから、何を話していたのか分からないが、松本の髪が今までで一番短かったのと、あの色が何ともダサくて(爆)かなり怖かった…
まっちゃんは長い髪の方が似合っていたように思う。今の髪型はとても老けて見えるんだもん。
新しく発売したマキシはマキシと云いつつ、実際新譜は1曲だけで「これのどこがマキシなんだ」
と云った感じだ。カップリングはデビュー曲のアレンジし直したヤツだし、それは今度2/23に発売するアルバムに入れるものをそのままマキシに入れたってヤツで、たった1曲で1000円はちょっとボッてるなぁ…と思う私です。せめて500円にしてくれても…(-_-;)

最近は全然B\’zの電波チェックもしてないから、どこでプロモが流れているのかも分からないしまたちょっと気合いを入れようかしら…やることもないしね(爆)
は〜っかなり淋しいオンナだなぁ、私って(爆)
熱中するものが全くない…(-_-;)
専業主婦ってみんな羨ましがるけど、家のことをやって大体一日が終わってしまって気が付けばもう夜状態。まだ働いている方が外に出れるからいいのに…と
専業主婦になってそう思う昨今。
でも働けば働いたで、結局は職場でのストレスがあるから、まぁどっちもどっちだけど、専業は私には全然ラクな『仕事』ではないな。
専業な分、手抜きが出来ない(大爆笑)

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ドラマの話

2000年 2月7日

このところ毎シーズン色々なドラマに嵌まっている私です。
ばらつきがあるものの、全然観ない時もあれば、毎日の様に観る時もある。
今シーズンはあまり観ていない方で、今、自分で観ているのが「Beautiful Life」と「2000年の恋」。「2000年の恋」は嵌まっているとは言い難い。内容が現実離れしすぎて、付いていけない部分もあって
でも何で観ているのかと云うと、私の好きなTHE BOOMのVo.宮沢和史が出演しているからだ。
しかも、何故か刑事役(爆)
中山美穂事態はあまり好きではないのだけれど、結構彼女が出ていたドラマには嵌まってしまい昨年暮れに一挙放映した「眠れる森」は(当然だが、ここでやっとビデオに保存するという結構マヌケな私でもあった…)従姉妹と犯人が誰だか毎回終わると、翌日には電話であーだこーだと話をしていた。それは「隣人は密かに笑う」でも同じだったけど、今回の「2000年」に関しては、MIYAが出ているから観ているって感じだ。
肝心の嵌まりどころである「Beautiful Life」
こっちが本命(爆)何故だか脚本が北川えりこ(漢字忘れちゃった)のドラマにどうも嵌まり易いようだ。
脚本北川に火が点いた「愛していると云ってくれ」はトヨエツが大好きな私としては、これはもうどこをどう取っても嵌まるだろう作品で、あの頃はあやと手話でトヨエツが話す仕草に異様に燃えていたっけねぇ。
で、次の「ロングバケーション」もキムタクはそうでもないのだが、山口智子が好きで見始めたら面白かった…って感じで(^-^)
現在の「Beautiful Life」これはタイトルからして『ふたりでいた日々』と詠われているので恐らく最後に常盤貴子が死んで終わるんだろう、と思うけど、分かっているんだけど、キムタクの話し方とかを観ていると『私もダンナと初々しく(?)恋をしていた頃にはあんなこと云ったり、云われたりしていたよなぁ…』などと、ちょっと昔に浸ったり。
ダンナはキムタクみたいな話し方をするわけではなかったけど、同じ様なニュアンスなことは話していたよなぁ…なんて遠い目をしながら思い出したりしているけど、結婚するとどうしてあの頃みたいな初々しい気持ちが気が付くと無くなっちゃうんだろって最近思う。
別にダンナに飽きたとか云うのではなくて、よく『恋愛と結婚は違う』って云う、アレかな? って。
付き合っている頃は生活が滲み出ないからなんだろうなぁってね。
でも私は結婚して良かったタイプだ。
結婚しなければ味わえない楽しさもケンカも辛さも美味しい経験だし(爆)
話が逸れたが、とにかく今シーズンの一番は「Beautiful Life」なのだ。
毎回ドラマの終わりにキムタクが語るナレーションが必ず過去形なのも、私の心を擽っている。
未だはっきりと常盤貴子の病名が明かされていないが、多分、難病だって云っているのだからそれが原因ではないか …って従姉妹とまたまた踏んでいる。

あのドラマのもう一つの嵌まりどころは、舞台が表参道と云うところだ。
元々あの界隈で社会人の半分ぐらい、仕事をしていた私にとって、表参道は私の遊び場であった訳で、とりわけ、最近、舞台として使われている近くの表参道交差点にある富士BKの並びにスタバがあって、前回のシーンで、キムタクがスタバを片手に歩道橋でのシーンを観つつ部屋で一人「あ゛〜スタバのラテが飲みてーっ」と叫んでいる昨今(爆)
どうして地元にスタバがないのだろう(T_T)
あまりに飲みたくなって一度、電車に乗って一番近い自由が丘のスタバまで行ってラテを飲んだこともあるぐらいだ。当然、後にダンナにバカにされたが…
『往復300円払って300円ちょっとのコーヒーを飲みに行くか? 普通』と。
でもダンナは毎日のように食後に飲めるけど、今の私には出かけてでもしないかぎり飲むことができない。
スタバのパーソナルカップも今ではダンナに使って貰っているしね。
時間がかかったが、無印良品だってやっと地元に入ったのだ。
もう少し我慢すればスタバもやってくるのだろうか…ナゾだ…。

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父の妹

2000年 2月6日

夜、母に電話をした時のことだった。
土曜に入院している父の病院に、父の妹(叔母)がお見舞いにきて、母にこう云ったらしい。
「82のダンナ(名前で云ったけど、ここでは伏せておく)浮気しているんじゃないの?」と。
叔母が母に話したことはこんなことだったらしい。
金曜に半蔵門で大きな荷物を持ったダンナが女の人と二人で歩いていたところを叔母が目撃したとのことだ。
ダンナはここのところ仕事が想像出来ないぐらいハードで、最近では週に2日帰ってくればいい方で
そのことを当然の如く、私の母も知っていて、しかも大きな荷物を持って歩いていた、女の人と。
これは母にとっては衝撃的なことだったに違いない(爆)
まぁ確かに週に2日帰ってくればいい方で、浮気しているから、仕事がハードで帰れないと私には云っているのではないか …と母は心の中で一瞬、思ったらしく、電話した時そんなことはないだろう、と思いつつも私に確認してみたかったらしい(爆)
それを聞いた私は大爆笑だった。
そんなわけないのが分かっているから可笑しかったんだけど、どこでどうなったらそういう話になっちゃうのか、とっても可笑しくて堪らなかったっす。
まぁ、たまたま見かけた叔母にしてみれば、当然だが、自分の知らない女と私のダンナが歩いていて
しかも大きな鞄を持っていた、と云うのだから、当然浮気している、と考えてもまぁ無理はないと思う。
でも噂ってこういうところでも怖いなぁってちょっと思っちゃった。
火のないところに煙がたっちゃってるわけだよね。
金曜の夜から会社のメンバーとスキー旅行に行っているから、もしかしたらその荷物を持っていたのかもしれないし、はたまた打ち合わせで大きな鞄を持っていたのかもしれない。
一緒にいた女の人とは会社の人だろう。
しかし、一生懸命に働いているダンナが一瞬でも一部の親戚に疑われたのが何だかとてもダンナに対して可哀相に思える私です。
あんなに仕事がハードで、浮気しているとしたら、相当体力があるってことでしょ?
毎日、ちゃんと電話やメールを入れてくるダンナが浮気していたとしたら、それは相当やり手だなぁ …と思いながらも、またまた大爆笑する昨今でござるよ。

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