82’s

ドラマの話

2000年 2月7日

このところ毎シーズン色々なドラマに嵌まっている私です。
ばらつきがあるものの、全然観ない時もあれば、毎日の様に観る時もある。
今シーズンはあまり観ていない方で、今、自分で観ているのが「Beautiful Life」と「2000年の恋」。「2000年の恋」は嵌まっているとは言い難い。内容が現実離れしすぎて、付いていけない部分もあって
でも何で観ているのかと云うと、私の好きなTHE BOOMのVo.宮沢和史が出演しているからだ。
しかも、何故か刑事役(爆)
中山美穂事態はあまり好きではないのだけれど、結構彼女が出ていたドラマには嵌まってしまい昨年暮れに一挙放映した「眠れる森」は(当然だが、ここでやっとビデオに保存するという結構マヌケな私でもあった…)従姉妹と犯人が誰だか毎回終わると、翌日には電話であーだこーだと話をしていた。それは「隣人は密かに笑う」でも同じだったけど、今回の「2000年」に関しては、MIYAが出ているから観ているって感じだ。
肝心の嵌まりどころである「Beautiful Life」
こっちが本命(爆)何故だか脚本が北川えりこ(漢字忘れちゃった)のドラマにどうも嵌まり易いようだ。
脚本北川に火が点いた「愛していると云ってくれ」はトヨエツが大好きな私としては、これはもうどこをどう取っても嵌まるだろう作品で、あの頃はあやと手話でトヨエツが話す仕草に異様に燃えていたっけねぇ。
で、次の「ロングバケーション」もキムタクはそうでもないのだが、山口智子が好きで見始めたら面白かった…って感じで(^-^)
現在の「Beautiful Life」これはタイトルからして『ふたりでいた日々』と詠われているので恐らく最後に常盤貴子が死んで終わるんだろう、と思うけど、分かっているんだけど、キムタクの話し方とかを観ていると『私もダンナと初々しく(?)恋をしていた頃にはあんなこと云ったり、云われたりしていたよなぁ…』などと、ちょっと昔に浸ったり。
ダンナはキムタクみたいな話し方をするわけではなかったけど、同じ様なニュアンスなことは話していたよなぁ…なんて遠い目をしながら思い出したりしているけど、結婚するとどうしてあの頃みたいな初々しい気持ちが気が付くと無くなっちゃうんだろって最近思う。
別にダンナに飽きたとか云うのではなくて、よく『恋愛と結婚は違う』って云う、アレかな? って。
付き合っている頃は生活が滲み出ないからなんだろうなぁってね。
でも私は結婚して良かったタイプだ。
結婚しなければ味わえない楽しさもケンカも辛さも美味しい経験だし(爆)
話が逸れたが、とにかく今シーズンの一番は「Beautiful Life」なのだ。
毎回ドラマの終わりにキムタクが語るナレーションが必ず過去形なのも、私の心を擽っている。
未だはっきりと常盤貴子の病名が明かされていないが、多分、難病だって云っているのだからそれが原因ではないか …って従姉妹とまたまた踏んでいる。

あのドラマのもう一つの嵌まりどころは、舞台が表参道と云うところだ。
元々あの界隈で社会人の半分ぐらい、仕事をしていた私にとって、表参道は私の遊び場であった訳で、とりわけ、最近、舞台として使われている近くの表参道交差点にある富士BKの並びにスタバがあって、前回のシーンで、キムタクがスタバを片手に歩道橋でのシーンを観つつ部屋で一人「あ゛〜スタバのラテが飲みてーっ」と叫んでいる昨今(爆)
どうして地元にスタバがないのだろう(T_T)
あまりに飲みたくなって一度、電車に乗って一番近い自由が丘のスタバまで行ってラテを飲んだこともあるぐらいだ。当然、後にダンナにバカにされたが…
『往復300円払って300円ちょっとのコーヒーを飲みに行くか? 普通』と。
でもダンナは毎日のように食後に飲めるけど、今の私には出かけてでもしないかぎり飲むことができない。
スタバのパーソナルカップも今ではダンナに使って貰っているしね。
時間がかかったが、無印良品だってやっと地元に入ったのだ。
もう少し我慢すればスタバもやってくるのだろうか…ナゾだ…。

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父の妹

2000年 2月6日

夜、母に電話をした時のことだった。
土曜に入院している父の病院に、父の妹(叔母)がお見舞いにきて、母にこう云ったらしい。
「82のダンナ(名前で云ったけど、ここでは伏せておく)浮気しているんじゃないの?」と。
叔母が母に話したことはこんなことだったらしい。
金曜に半蔵門で大きな荷物を持ったダンナが女の人と二人で歩いていたところを叔母が目撃したとのことだ。
ダンナはここのところ仕事が想像出来ないぐらいハードで、最近では週に2日帰ってくればいい方で
そのことを当然の如く、私の母も知っていて、しかも大きな荷物を持って歩いていた、女の人と。
これは母にとっては衝撃的なことだったに違いない(爆)
まぁ確かに週に2日帰ってくればいい方で、浮気しているから、仕事がハードで帰れないと私には云っているのではないか …と母は心の中で一瞬、思ったらしく、電話した時そんなことはないだろう、と思いつつも私に確認してみたかったらしい(爆)
それを聞いた私は大爆笑だった。
そんなわけないのが分かっているから可笑しかったんだけど、どこでどうなったらそういう話になっちゃうのか、とっても可笑しくて堪らなかったっす。
まぁ、たまたま見かけた叔母にしてみれば、当然だが、自分の知らない女と私のダンナが歩いていて
しかも大きな鞄を持っていた、と云うのだから、当然浮気している、と考えてもまぁ無理はないと思う。
でも噂ってこういうところでも怖いなぁってちょっと思っちゃった。
火のないところに煙がたっちゃってるわけだよね。
金曜の夜から会社のメンバーとスキー旅行に行っているから、もしかしたらその荷物を持っていたのかもしれないし、はたまた打ち合わせで大きな鞄を持っていたのかもしれない。
一緒にいた女の人とは会社の人だろう。
しかし、一生懸命に働いているダンナが一瞬でも一部の親戚に疑われたのが何だかとてもダンナに対して可哀相に思える私です。
あんなに仕事がハードで、浮気しているとしたら、相当体力があるってことでしょ?
毎日、ちゃんと電話やメールを入れてくるダンナが浮気していたとしたら、それは相当やり手だなぁ …と思いながらも、またまた大爆笑する昨今でござるよ。

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慶應ラグビー部

2000年 2月5日

昨日、元会社の呑み仲間と、久々に呑みました。
珍しく? 家に帰ってきた時はベロベロに酔っぱらってて(爆)でもちゃんと化粧を落として寝ていたのには自分でも感心したよ(爆)

さて、その飲み会に出席する前、渋谷のぴあで、ラグビーの日本選手権のチケットを購入しました。
実に7年ぶりぐらいだと思う。
私のラグビー狂は知る人ぞ知るってなもんで、10年ぐらい前なんて、もーそれは凄くて高校の時にテレビでたまたま見た慶應の試合で、14番を付けた若林俊康が一人で3人だか4人を抜いてトライをした瞬間を見て以来、私は「若」にメロメロになってしまい、それ以後ずーっと慶應ファンを続けているのだ。
しかし、元々慶應は他の大学と違い、スポーツ推薦制度がない学校なので、慶應ラグビー部に入りたい、と思う選手は自力で勉強をして、慶應義塾に合格しなければならない、というとても高い門があって、なかなか恵まれた選手がいない、というのが慶應の最大の難題で、現実という …
だから大学日本一になり、社会人トヨタ自動車と戦って、見事日本一を勝ち取った時代の慶應にはとても恵まれた選手が多かったのかもしれない。
とは云っても恵まれていたのは最初からの訳はなく、当然扱きにしごいてスキルアップをしていい選手が育ちその結果が日本一になった訳で、それは想像できないぐらい凄い猛練習だったに違いない。
私が高校の頃は、そのエース若林が在籍中だったので、慶應も強かったけど、その後は強い選手が卒業して行き、みるみるうちに低迷期を迎えるんだけど、その後も一度、第二期黄金時代と云われた時があって、その頃までは私も自分で試合会場に足を運んで観ていたんだけど、確か94年ぐらいまでだったと思う。
その頃は観ていても悔しい思いばかりするし、春のオープン戦も昔は大学のグラウンドで試合をしていたので、入場無料だったのが、オープン戦ですら会場でするようになってお金を取られるようになり、その頃から徐々に観なくなってしまったのよね。

で、前シーズンで結構慶應がそこそこいい成績だったらしい…と云うのは何となく分かってたけど今シーズンは何と、大学選手権に出場する、と聞き、本当だったら会場に試合を見に行きたかったんだけど、チケット事情もラグビーがどれぐらいの人気なのかも分からない今では当日、会場に行ってもチケットがあるのかどうかも分からない状態で、会場に行くには、私はあまりにも歳を取りすぎてしまっているし(爆)
結局、翌日の新聞で結果を見る …と云うことをしていたのでした。
でも、流石に大学日本一になり日本選手権一回戦で負けてしまうかもしれないけどどうしても観たくなって、昨日チケットを購入した、という訳。
流石にいい席は売り切れだったけど、まぁどこでも生で観れればいいので、2月13日は実に6年ぶりに生でラグビー観戦をします。それもダンナと(爆)
ダンナとラグビー観戦は元より、スポーツ観戦するのは初めてなので、楽しみだよ。
しかし、私はラグビーを観ると人が変わるので、一緒に行ってダンナは吃驚するかもしれない(爆)

慶應ラグビー部が大学日本一になった翌日の朝日新聞で、三面記事に若林が載っていて私は、そこで初めて彼が92年10月に、試合中けいついを損傷し、半身麻痺、言語障害が出てしまったということを知り、とてもショックでした。
私にとっては、ラグビーの魅力を彼が教えてくれた訳で、スポーツ推薦制度のない慶應でもがんばって努力をすれば、勝負に勝つことだってできる、というのを身を以て証明し、当時のラグビーファンの誰もが「俊足の若林」を知らない人はいなかったしそして、誰もが感動していたに違いない、そんな素晴らしい選手が大好きなラグビーは疎か日常でも大変な思いをしている、と知って本当に衝撃的だった。
現在は結婚もして、リハビリを続けて日常生活は問題なくなってきているみたいだけどまだ34歳なのに、と悔いが残る思いでいっぱいです。
でも彼は未だ諦めてはいなくてリハビリを続けて、いつか必ずラグビーをもう一度、と思っているみたいで時間が沢山かかってもいいから、いつかまた彼が 楕円球を追えればいいなぁ、と今は心から思っています。
本当、頑張って欲しい。

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家庭菜園

2000年 2月3日

昨年10月に庭付きのマンションに引越をして、ずっと夢だった(爆)冬に向けての 家庭菜園を始めて、初めてサニーレタスが何とか育って、食べました。
流石に寒いみたいで、どんどん外側の葉っぱからしなびてきちゃったので、全部食べてしまったけどお店で買うものよりも、ずっと歯ごたえや、レタスの味が濃厚で、とても美味でした。
証拠写真↓(爆)
春になったら、またサニーレタス、ほうれん草、スウィートバジル、ルッコラ、プチトマトをチャレンジする予定。
因みに、冬でも作れると書かれたほうれん草の種を植え、途中まで順調に育ってきたけど、流石に最近の寒さでどんどんしなびてしまい、結局、口に入るまでもなかったっす。
とほほっ(T_T)
まぁ、頑張ってまた春に作るですよ。

18:29 カテゴリー:82's | コメント(0) »

初日記!

2000年 1月31日

今日から、HP上でもちょっと日記を公開しようと思って、作ってみました。
ちょっとずつ、自分のHPのリニューアルをしようと素材は出来ているんだけど、完全にはまだ完成してなくて、どうもデザインが纏まらなくて困っている昨今。
斬新で飽きないデザインって実は結構悩んでしまうのだ …とほほっ。

18:28 カテゴリー:82's | コメント(0) »
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